去年は一度も使わなかった日傘のおはなし

東京は朝5時半でも気温が26度。
「あ〜、今日はやめておこうかなあ〜」と負けそうになりますが、
自分を叱咤激励してウォーキングに出かけます。
一歩出てしまえば、並木道にさしかかるとさっと風が涼しいし、
モリモリと葉を茂らせる木々と青空の組み合わせが美しい!
汗をかいて帰ってくると、すっきりと体が整う気がします。

今日から7月。
もう2022年も半分が過ぎたということですね〜。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

さて。
みなさんは、どんな日傘を使っていらっしゃいますか?
私が、今年から使い始めたのがこれ。
傳 tutaee」という日本の伝統を大切にものづくりをしているブランドです。

「注染」という、特殊な糊で防染した上から染料を注ぎ、
模様部分を染め上げるという、伝統的な型染で仕上げられた生地なので、
ドットがどことなくいびつなのが魅力。

でも、どこかモダンで和っぽくなりすぎないのが気に入っています。

実はこの日傘、去年買ったものです。
思い返せば、去年の夏、母が入院し、私は実家と行ったり来たりの生活をしていたので、
日傘をさす、という気にもならなかったよう……。

この日傘は新品のまま玄関にかけっぱなしで、
一度も使うことなく夏が終わりました。

今年になって、やっと「ああ、そうだった!」と取り出し
毎日さして出かけているというわけです。

父も母もなんとか自分たちで暮らしていけるようになって、ほっと一息。
このドットの傘をさすたびに、
季節さえ感じることができなかった去年を思い出し、
普通に暮らしに心を向けることができる「今」に感謝しています。

でも、あの両親の「老い」に初めて正面から向き合った苦しい時期があって
本当によかったなあと思います。

老いるとは何なのか、死ぬってどういうことなのか……。
「老い」を受け止めきれずにアップアップしていたからこそ、
いろんなことを考えました。

人って、すぐ横にあるものでも、
それがいったい何なのか、どういう意味を持つのかが、ちっともわかっていないものなのですね。

だから、なんでも「わかったつもり」にならず、
まだまだ知らないことがいっぱい、わかってないことばかり……
という気持ちを失いたくないなあと思います。

先日ご紹介した「コテンラジオ」の深井龍之介さんがよく語られることがあります。

それが、自分とはまったく異なる人のことを、「その人の文脈で」理解しなくては、
本当のことはわからない、ということ。

自分とは世界が違うな、と思う人の話を聞くことは、
新しい扉が開いてとても面白いもの。
でも、それを「自分」というフレームワークの中にいるまま聞いていると、
何も変わりません。

一旦自分の価値観をゼロにして、自分の枠から出て、
その人の人生の文脈の中に入って相手を理解する……。

私の場合、今までも出張のたびに実家に帰っていたけれど、
その時見ていた両親の姿は、「自分のフレームワーク」の中から眺めているだけの「人ごと」でした。

でも、一緒に暮らして「両親のフレームワーク」に一緒に入って
父と母の生活を見たとき、
今まで私は、なんにもわかっていなかったんだ……ということに呆然としたというわけです。

きっと、私たちの周りには、
こんな風に、理解できていないことがたくさんあるはず。

若い頃は、自分の「フレーム」を構築することに必死だったけれど、
人生後半からは、そこから一歩出て、
周りの世界を少しずつでも理解していきたいなあと思うこのごろです。

みなさんは、自分以外のフレームワークの中で、何かに気づいた経験はありますか?

 

今日もいい1日を!

 


一田憲子ブログ「日々のこと」一覧へ