「正しさ」だけが、重要なわけじゃない

昨日は暑かったのに、今朝はすとんと気温が下り、すがすがしい朝でした。
家々の庭にバラの花が咲く時期になりましたね〜。
ウォーキングの最中、「あ、あそこにも」「お〜、今年もここに」と
見つけるたびに嬉しくなります。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

阪急うめだ店でのイベントから戻って、私は自分の次の本の校正をやったり、
5月末ぐらいの発売予定です。もう少ししたら詳しいことをお知らせしますね〜。

 

次の「おへそ別冊」の「整えるシリーズ」の校了作業をしたり……。
「暮らしを整える」「体を整える」「見た目を整える」……の次は何を整えるか。お楽しみに〜。

このごろよく考えることがあります……。
それが、「正しさ」について。

たとえば、誰かの話を聞いているとき、
その人が、ちょっとしたうっかり間違いをしていることに気づいたとします。
たとえば、「一田さんが出している『暮らしとおへそ』ってさあ〜」って。
正しくは、「暮らしのおへそ」
でも、その人は「暮らしとおへそ」と言う……。

そんな時、みなさんは「違う、違う『暮らし の おへそ』ですよ〜」
って間違いを正しますか?

私はどちらかといえば、よっぽど会話に支障がないかぎり、
スルーしてしまいます。

両親と話をしているときも、
あきらかに、「あ〜、考え方が古いんだよなあ。そこにこだわっていると自分が苦しくなるよなあ」
と思うことがあります。
でも、ここまで生きてきた歴史がそう語らせているとしたら、
「ま、いいか」と思って「そうかもねえ」と相槌を打ちます。

SNSで、私の本について書いてくださっている方がいらして、
そこに小さな間違いがあっても、それを正そうとはめったに思いません。

それは、私が怖がりで、すべてが丸くおさまる状態だと安心するから……
であるからだし、
時にはちゃんと「間違えてるよ」と指摘する方が、その人のためになるんだよなあと
思うこともあります。

でも……。
正しさを主張するだけがいいことじゃない。
正しいことが、重要なわけじゃない。
そう思うのです。

相手がちょっと間違えても
「まあ、勘違いすることもあるよね〜」
「名前、違うけどまあ、いいよね〜」
と相手の間違いを、ふんわり受け取れる、「柔らかさ」みたいなものを持っていたいなあと思います。

「勘違い」だけでなく、
「意見」の食い違いにしても、
「違う」から「否定」するのではなく、
「ああ、そういう考え方もあるよね」と、言える人になりたい……。

表から見ると赤に見えるけれど、裏から見ればもしかしたら、それは青かもしれない。
だったら私は「赤」と思うけれど、あの人の「青」という意見もその人にとっては真実なのかも。
そう考えられるようになりたいなあと思います。

ちょっとずつ自分の中のジャッジの袋を大きくして、
人を受け入れられたら、みんなが優しく交流できるかもしれないなあと思うこのごろです。

みなさま、今日もいい1日を。

 

 


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