「網戸を拭いて」と母が言う。

あさって20日(水)から、大阪の阪急うめだ本店で「大人になったら着たい服」の
イベントがあるため、
ひと足早く関西入りし、実家に戻っています。
家を出る日、出発の3時間ほど前に、つぼみだった芍薬が
ぽっかり花を咲かせてくれました。
帰る頃には散っているだろうから、見られてよかった〜。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

3か月ぶりに帰ると、母は外ではもちろん家の中でも杖を使うようになっていました。
これだと体がずいぶんラクになるのだとか。

90歳の父は、朝ゴミを捨てに行ったり、洗濯物を干したりと
な〜んにもしない昭和の男だったのに、ずいぶん母を手伝うようになっていました。

この父、頑固頭ではあるけれど、とてもジェントルなところもあるのです。
外に出かけてお茶を飲み、帰るときには腕が不自由な母に
ちゃんとコートを着せてあげます。
昭和な男は恥ずかしがりなはずなのに、こんなところだけ欧米人のようです。笑

さて。
実家に帰ると、私は母が普段やりたいのにできないことを手伝います。
今回は……。
まずは「網戸を拭いて」とおっしゃる。

そこで、家中の網戸を裏と表から拭き、
サッシの隙間も拭き……。
自分の家では、網戸なんて、1年に1度しか拭かないというのに……。

使うのはこれ。

一見きれいに見えるのに、ふくとこのシートが真っ黒になります。

「わあ、こんなに汚れてたんだね〜」(私)
「そうなのよ。前は1週間に1度拭いてたのに、このごろ拭けなくなったから」(母)
「え〜、1週間に1回! 私なんて1年に1回だよ」(私)
「そりゃそうよ。仕事を持っていたらできないよね。私はこれがお仕事だから」(母)

こんな会話をしながら、20歳で結婚し、83歳になるまで63年間も、
母は専業主婦として、毎日毎日ご飯を作り、掃除をし……と
家の中の仕事を続けてきたのだなあと
改めて実感しました。

私が、取材にあっちこっちに飛び回っているときに
母は、網戸を拭いていた……。

「私はプロの専業主婦になるの」というのが、ずっと母の口癖で、
網戸をいつもピカピカに保てるように、ちゃんとローテーションを考えて
週に1度という頻度を暮らしの中に組み込んでいたのでした。

網戸に埃がたまって真っ黒になっても気にせず、仕事に出かける私。
外で働いたことはなく、網戸をピカピカにする母。
親子でも、大事にしたいことはこんなに違う……。
それでも、私たちは話がとても合い、
互いに「よ〜がんばってるやん」と励まし合います。

母みたいに家中をきれいにすることは私にはできないし、
母は、私のように外を飛び回って仕事をすることはできない……。

「できない」こと、「できること」は、人それぞれ違っていいのよね。
そんな当たり前のことを改めて思ったのでした。

だから、私は私のできることをこれからもコツコツとやっていこうと思います。
母が、コツコツと家の中のことを63年間も続けたように。
そういう意味では、母の方がずっとずっと先輩で、
その背中を追いかけようと思っています。

でも、帰ったら私も網戸を拭いてみようっと。

みなさんの「できること」「できないこと」はなんでしょうか?

 

今日もいい1日を!

 

 

 

 


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