人生の横にはもう1本の道がある。by為末大さん

実家で見つけた幼い頃の私の写真に、プププッと笑ってしまいました。
顔もお尻も足もぷくぷくです。
4歳まで育った、京都府舞鶴市の会社の社宅の庭で写したものだそう。

東京に住んでいた叔母が「サエグサ」で買って送ってくれたという
ワンピース を着ています。

今日これから東京に戻ります。
私は、親の大反対を押し切って、上京したこともあり、
実家での生活と、東京での生活が
同じ次元で繋がっていると信じられないほど、世界がガラリと一転しました。
いつも、新幹線に乗ると、
どこかに異次元の世界と出入りする扉があって、
ワープするんじゃないか、と思うほどです。

帰ったら、また私はすぐに仕事モードに切り替わり、
一日中、仕事ばかりすることになるのだろうなあ。

でも……。
1週間余り実家で過ごして、改めて思いました。
「こっち」だっていいんだよなあって。
実家に住んで、どこかでパートで働いて、
仕事ではなく「暮らし」をまんなかにして生きていったっていいんだよなあ。

こんな時、いつも為末大さんが教えてくれた言葉を思い出します。

「人生には、すぐ横にもう1本の道が走っている」

アスリートは、現役の頃、強くなること、勝つことだけを考えて生きているけれど、
いつか引退する時が来る。
その時に、自分を失ってしまわないように……
とこの言葉を贈っているとおっしゃっていました。

私のライターとしての人生の横にも、
きっといろんな人生の選択肢がある……。
多分、その横の人生に移るのは、とっても簡単だけどすごく難しい。
明日から「ライター、や〜めた!」と言うのは簡単だし、
パートしながら生きていくこともすぐできるはず。

ただ、それを実際に実行するとなると、
人生がひっくり返るほどの決断が必要となります。

でも、「すぐ横にもう1本道がある」
と知っておくことは、すごく大事だなあと思います。

今どっぷり浸かっている世界で正解なことが、
すぐ横に流れている人生では、正解じゃないこともあります。
今こだわって、「何より大切!」と信じていることが
すぐ横では、別にそれほどでもないことも。

だったら、できなくてもいいじゃん。
これじゃなくてもいいじゃん。
仕事でいい文章を書くことも大事だけれど、
陽の差し込む縁側で、ボ〜ッとするのもなかなかいい。

若い頃から猪突猛進で進んできたけれど、
歳を重ねて、やっと世界の「多様性」というものを感じられるように
なってきたのかもしれません。

 

母から、祖母が使っていたという、翡翠風の指輪をもらいました。
小さいので小指に。
これをはめた時、実家での「この時間」があったことを思い出したいなあと思っています。

みなさんの横には、どんな道があるのでしょうか?

 

今日もいい1日を!

 

 

 

 


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