歳をとっての幸せは「お茶漬けのり」なんだよなあ〜

 

ここ数日、肌寒いぐらい涼しい日が続いています。
みなさま、いかがお過ごしですか?

実はワタクシ、今実家におります。
1か月ほど前から、ベースは実家で暮らし、取材があるときだけ東京に戻る。
PCR検査を受け、また実家へ。という生活を続けております。
緊急事態宣言中ということもあり、県をいくつもまたいでの移動は
気が引けるのですが……。

母が肩に人工関節を入れる、という手術をいたしました。
手術自体はすぐ終わるのですが、リハビリで1か月入院することに……。
89歳になる父が一人になってしまうので、
私が手伝いに帰っている、というわけです。

典型的な昭和の男である父は、一人で何にもできません。
電子レンジも使えないし、洗濯機の操作も知らない……。
「え〜! こんなに何もできないの?」
と今回改めて驚きました。
(今では、電子レンジと洗濯機だけは使えるようになりました。
そして、母との唯一のコミュニケーション手段であるLINEもやっとマスター! 笑)

そこで、私が帰り
朝、昼、晩のご飯を作り、掃除をし、
病院に洗濯物を取りに行き(コロナなので面会は一切できず、
洗濯物のやり取りだけ)洗濯し……。
そんな日々は思ったよりハードです。

そして、何より大変だったのが
「老いる」ということと真正面から向き合わざると得ない、ということ。
コロナ前は、実家を宿代わりに使い
出張のたびに寄っていたのですが
その時には、「お客さん気分」だったのでしょうね……。
何にも見えていなかった。

 

 

 

今回、父の日常に寄り添うことで、
ああ、こんなこともできなくなったんだな。
こんなふうに生活が心もとないんだな……。
と現実を突きつけられ、胸が潰れそうな日々です。

母もずっと肩や体のあちこちが痛かったらしく、
とても几帳面な人で、実家はいつも隅々までピカピカだったのに
今回、部屋の片隅にホコリが溜まっていたり
汚れを見つけるたびに
ああ、体が辛かったんだなあと、涙がこぼれます。

そして、私はなんて「自分のことだけ」を考えて生きてきたんだろう
と思い知らされました。
自分の「いつも」から一歩出た生活に心を揺さぶられ、
いろんなことを考え直すここ数週間です。

でも、このプチ介護体験ができて、本当によかったなあと考えています。
今は、まだ「揺さぶられ中」なので、
考えがまとまっていないけれど、
いろいろな付箋を自分の心に貼っている感じ……。
母が退院して落ち着いたら、付箋のページを見直して、
じっくり考えてみたいと思っています。

父は「お茶漬けのり」が大好きです。
私がいろいろおかずを作っても、「お茶漬けが、うまいなあ〜」とおっしゃる!(笑)
塩分を控えなくちゃいけないから、時々しか食べれないので余計そうなのでしょう。

高度経済成長の中、世界を飛び回って企業戦士として働いてきた父ですが、
歳を取ってからの幸せって、「お茶漬けのり」なんだなあと感じています。

そんな姿を見ていると、自分が歳をとるってどういうことなんだろう?
と考えずにはいられません。
ただ、夕飯を食べながら、壊れたテープレコーダーのように昔話を繰り返す父にとって
あの生き生きと働いていた記憶が、
今を支えているのだなあとも感じます。
人は「何を成し遂げたか」で幸せになるわけではないけれど、
「何を成し遂げたかの記憶」に寄って力を得る、ということは事実のよう。

世の中には、介護の経験がある方がたくさんいらっしゃることと思います。
本当に尊敬します。
介護だけでなく、小さなお子さんを育てている方も「自分のことは後回し」ですよね。
そうやって「ままならない時間」はいろいろなことを教えてくれるものだなあと
思います。

皆さんは「ままならない時間」がありますか?

一番上の写真は、朝ウォーキングに出かけている実家周りの景色。
いつもの吉祥寺とは違う街ウォッチングを楽しんでいます。

 

今日も、いい1日を。

 


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