「そんな言い方しなくても..」。胸にチクッと刺さる違いを受け入れること。

秋の空は、どこか物悲しいような、心を自分の内側に向けてくれるような気がします。
そして、秋の果物は美味しくて、ついつい食べすぎてしまう昨今です(笑)

パラリンピックも終わり、感染者も少し減りましたね。
パラリンピックの閉会式、私はバタバタしていて見られなかったのですが、
そのテーマは「すべての違いが輝く街」だったそうです。

違いを認め合い、共に生きていく……。
最近この「違い」ということをよく考えます。

トランスジェンダーとか、体に障害があるなど、
自分と全く違う人のことを、「自分ごと」として理解することも難しいけれど、
自分の近くにいる「少し違う人」のことを理解することは、
すご〜く難しいなあ〜と感じるこの頃……。

 

例えば……。
一緒に仕事をしていて、「そんなものの言い方しなくていいじゃん……」
という人がいる。
こちらが曖昧にしていたことに、びっくりするぐらいの厳しさで指摘を入れてこられたり
考えてもいなかったことを「こうじゃないんですか?」と言われて、
ああ、そういうものの見方もあるんだ……と驚いたり。

優しい言い方なんだけれど、私が書いたことに対して
正反対の視点から「自分のこと」をコメントくださって、
「こんな考え方もあるんですよ」と綴ってくださる人もいます。

SNS上で、あるいは友達同士で
「えっ、そんなつもりじゃないのに……」と思ったり……。

私は、ビビリンボなので、この「自分と違う」ということを知った時
胸がチクチクして、なんだか悲しくて、落ち込んだり。

しばらく悶々としてから、時間が経つと今度は、
そして、「私だったら、こういういい方しないのに」
「もうちょっと優しく言ってくれてもいいのに」
と違う相手を「否定」することで、自分を自分で安心させようとする……。

そうじゃなくて、
「違う捉え方をする人もいるんだ」
「私とあの人は違うんだ」
と、ただ事実をありのままに捉えればいいだけなのに……。

どうしたら、私はこの「近くにある少しの違い」を受け入れられるのだろう……
とずっと思っていました。

そんな時、どなたかがSNSで紹介していた(あ、面白そう、と思いすぐポチり
誰が紹介されたか覚えていない……。ごめんなさい)
山本洋実さんの「苦手な人が気にならなくなる本」
という1冊を読みました。

目からウロコだったのは、

「みんな違うパターンを持っている」と思えばいい。

ということ。

人はいろいろな行動のパターン、思考のパターン、感情のパターンを持っていて、
他人のパターンは「どうして?」となかなか理解できないそうです。

相手に自分のパターンを押し付けて、どうしても戦ってしまいがち……。

そうならないために大切なのは、
「自分のパターンを知る」ことなのだとか。

私は、大雑把でこういうことをすっ飛ばしがち。
私は、人と対立することを避けて、丸く収めるのが好き。

そうやって自分を知ることで、あ、あの人とは「パターン」が違うんだ、
と思えれば、
少し冷静になれる気がします。

 

そして、「人は安心したい生きもの」なのだとも書かれていました。
人に安心感を与えること=見留める(あえてこの字を使って)
ことだそう。

「少しの違い」の人のパターンを見留める……。
そうすれば、相手も私のことを見留めて、いい循環が始まるかもしれません。

 

自分と違う人のことを知るから、自分一人では開けられない扉を開けることができる……。
多様性のある世界は素晴らしい。
わかってはいるけれど、それがなかなか難しい……。

一歩ずつ足元から「少しの違い」に無駄に傷つかず、
笑って「そういうこともあるよね〜」と受け入れられる人になる
練習をしようと思います。

 

 


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