「今」の裏側には何があるのだろう?

昨日、東京は急に涼しくなりました。
朝、ウォーキングに出ると「あ、秋になったかも」と思ったぐらい。
今日はまた、暑さが戻るようですが……。

 

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
私は、「大人になったら着たい服」の取材をしながら原稿を書く日々。
先日は、関西出張にも行って参りました。
普段、関西に行ったときは、実家に泊まるのですが、
うちの父はもう89歳。
今回ばかりは、大事をとって自宅近くのホテルに泊まることにしました。

ホテルにチェックインし、実家にラインのビデオ電話をし、
「ホテルもなかなか快適やわ」とたわいもないおしゃべりを。
母に「あそこのお弁当がおいしいから」と教えてもらい、
夕飯はテイクアウトのお弁当を買ってきました。

その後、ちょっと買いたいものがありホテル横にあるコープへ。
ここは、いつも母と買い物にきていた場所。
店内を歩くうちに、母の姿が浮かぶようで、
こんな近くにいるのに会えないことに、思わず涙がポロリとこぼれました。

会いたいときに、会いたい人に会いに行けるって、素晴らしいことだったのですね……。

さて……、そんなホテルにも持ち込んで読んでいたのが、
以前「暮らしのおへそ」でも紹介させていただいた稲葉俊郎さんの著書
「いのちは のちの いのちへ」(アノニマ・スタジオ)です。

いや〜。たくさんの言葉が、胸の奥の方へはらりはらりと落ちていくようでした。

稲葉さんは東京大学医学部附属病院勤務を辞めて、今年4月より軽井沢病院へ。
ご家族3人で軽井沢に移り住まれました。
その理由は、「生きることにおいて大切なことは何だろうか?」と考えられたから。

今までの医学は、病気を直すという「病気学」を中心にしたもの。
でも、稲葉さんはそこに「健康学」という視点が必要だと綴られています。

自分にとって健康とはなにか。
稲葉さんは、医学意外の多彩な分野にも造詣が深いことで知られていますが、
アートも、文学も、音楽も健康であるということ……。

文中から

現代医療が「病気学」に詳しく、「病気」の解決法に秀でているのならば、
「健康学」への知見や、「健康」への道標は、自分自身の人生と答え合わせをするように、
生きながら探していく必要がある。
他力としての「病気学」と、自力としての「健康学」が合わさった場所にこそ、
これから必要な医療の場は創発してくるのだと思う。

 

これからの医療で大切なこと。それは安心できる場や安全な場があること。
ただ生きているだけで充分だと思える居場所があること。
自分の中で解決しない問題について対話できる場があること、
そして自分の中にある「いのち」の動きを阻害されないこと、
そうした場を育てていくことだと思う。

 

正解だと思い込んでいたものの裏側には、もうひとつの世界がつながっている……。
世の中の真実は、球体のように多面的で、表からみていただけでは
本当のことはわからない……。

私はこの本を読んで、今手の中にあるものを、ひっくり返して
その裏側を見てみたい……と思うようになりました。

どちらが正しいか、ではなく、裏も表もつながっていて、
その2つが互いに互いを認め合ったとき、新しい世界が立ち上げる……。

 

仕事を頑張ることが一番大事と、若い頃からずっと思っていたけれど、
その裏側には何があるのだろう?

ぶっちぎって「一人勝ち」することを密かに望んでいたけれど、
その裏側には何があるのだろう?

老後のためにお金を蓄えたいと思っているけれど、
お金を稼ぐことの裏側には何があるのだろう?

「生きる」ということの見つめ方をちょっと変えてみたい、と
思わせてくれた1冊でした。

本当はもっといろんな深い内容がぎゅっと詰まっているのですが、
その辺りは、ぜひみなさん読んでみてください。

 

 

ああ、いい本に出会うと、読書って本当に楽しいなあとしみじみします。

今日はまた暑くなりそう。
みなさま、いい1日を

 

 

 


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