私、ライターになりたいんです!と言いに行った日。

 

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2016年11月から全12回に渡り、交わしてきた「いちだ&さかねの往復書簡」。
新米ライターだった坂根美季さんも大きく成長し、バリバリと原稿を書けるようになりました。
そこで、この「往復書簡」を卒業してもらうことに。

このコンテンツが終了する前に、
「私、ライターになりたいんです!」と目をキラキラさせて私の元にやってきた
坂根さんが、
どうして、ライターになりたいと思ったのか、
彼女にとって「ライターになる」ということは、どういう意味を持つのか、
じっくりお話を聞いてみることにしました。

私が初めて坂根さんと会ったのは、
伊勢丹新宿店で開催した「おへそ塾」でした。
香菜子さんをゲストに「お片付け」をテーマにお話を伺うというもの。
そこで、坂根さんは、「おへそ塾」とは全く関係ないのというのに(笑)
「私、ライターになりたいんです!」とまっすぐな目で訴えてきたのでした。

「あの時、切羽詰まっていたんです。
どうしてもライターになりたかった。
どうしたら、私は「あっち」の世界に入れてもらえるんだろうか?
出版社に直接お願いに行ったとしても、経験の全くない私なんて絶対に使ってもらえるはずがない。
だったら、直接お願いしてみるしかない。
もう、行く前から『一田さんに声をかけよう』と決意していたんです」

 

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料理教室を営む会社で働いていたという坂根さん。
「社長が20歳で会社を立ち上げた、という方で、
会社説明会に行ったとき、こんな風にバリバリ働く女性になりたい!って思ったんです。
うちの母は幼稚園の先生だったのですが、結婚して辞めて、そのことをとても後悔していました。
だから、私は絶対母のようにはならない!って決めていました。
両親に反抗して、学校で使っていた辞書の端っこに『私は自立する』って書いていましたね(笑)」

営業職として働き、店長にまでなり、充実した日々を送っていたのに、
ある時、上司と衝突して、「もうやめる!」と突如退社。
目の前の道が急に途切れた時に、ふと出会ったのが「暮らしのおへそ vol1」
だったのだと言います。

「巻頭が夏木マリさんでした。
あんなに華やかに見えるのに、若い頃は自分の声にコンプレックスがあって、
集団に入っていくことも苦手。
そんな姿がその時の自分と重なって見えたんです」と坂根さん。

あの時、確かマリさんはこんな風に語ってくれました。

「自分に絶望するから、そこを抜け出そうと頑張ることができる」。

それから10年もの月日が経った2016年3月。
伊勢丹新宿店で「おへそ塾」が開かれると知ったとき、はじめて
「暮らしのおへそは、一田憲子さんという方が書いているんだと知ったんです。
ライターという職業がある、とはじめて知りました」と笑います。

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実はこの「おへそ塾」の2か月ほど前、坂根さんはお父様を亡くされていました。

「父は高校の教師をしていたのですが、55歳で早期退職をして、兼業農家だった家を継いで、
最後の10年間はずっと田んぼ作りに励んでいました。
でも、私は田んぼなんて地味で嫌いだったから、ずっと父がすることを見て見ぬふりをしてきたんです。
そうしたらお葬式の時、農業関係者がたくさんきてくださって……。
みなさんが話しているのは、私の知らない父ばかり。
そこで初めて、私は父のことを何も知らなかったと気づいて。
私は、田んぼの仕事は辛いもの、と思い込んでいたけれど、
私が今文章を書きたいと思うのと同じように、父は田んぼをやりたかったんだ、と知りました。

そして母が、父の死後に父の学級日誌を見せてくれたんです。
生徒さんや保護者の方々へ向けて、父が思いが綴ったプリントを配り、
1年に1冊ずつそれを製本して親しい先生たちに向けて配っていたようです。
たくさんあったはずなのに、今私の手元にあるのは、父が33歳の時に作ったという1冊のみ。
偶然にも今の私と同じ歳の時のものです。

父は哲学を専攻していたので、哲学的なことがたくさん書いてありました。
家ではとても無口な人だったのに……。
どうして、お父さんは私たちにここに書いてあるようなことを話してくれなかったんだろうと思いました。
でも、それはきっと私が聞こうとしなかったからなんでしょうね。
聞こうとしなければ聞こえないものがある。見ようとしなければ見えてこないものがある。
それは、今取材をしていてもきっと同じ。
質問をすることで、今まで見えなかったその人の本質が見えてくる。
だから、私はインタビューをして、その人の見えなかったこと見て、それを書く人になりたい。
父に聞けなかったことを、どこかで聞いてみたいと思ったのかもしれません」。

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人の縁の不思議さを思わずにはいられません。
私が一生懸命「暮らしのおへそ」を立ち上げた時に、
その1号を手に取り夏木マリさんの記事を読んでくれたという坂根さん。

お父様を亡くし、耳を澄ませていなかったことに気づき、大きな後悔を抱え、
そして「おへそ塾」があると聞きつけて伊勢丹にやってきた……。
そこで、私と坂根さんの時間が初めて繋がった。

そう考えると、私は坂根さんとの出会いによって、お父様とも繋がったような気持ちになります。

このお父様の死まで、
坂根さんは、一生懸命自分の道を探してもがいていました。
次回は、「ライター」という職業にめぐり合う以前のお話を伺いたいと思います。

 

撮影/前田彩夏


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