「私だって、そんなこととっくに知ってるもん」と言いたくなったら

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このコンテンツ「もっと早く言ってよ!」は、ずっと前から知っている、と思っていたことなのに、
この年齢になって「あ、そうか!」とやっとわかった気がする体験を、50代の私が、20代だった私に伝えるつもりで綴っています。

ノリコさんは、気にしいで、小さなことにクヨクヨするくせに、妙にプライドが高いことを、私は知っています。
たとえば、いつも会うあの素敵なAさんは、常に誰かのことを「あの人のここがすごいわあ」って褒めてるよね。そんなAさんの姿を見て、ノリコさんは、ちょっぴり自分を反省するんじゃないかな? だってノリコさんは、なかなか「あの人すごいわあ」って思えないから…….すごい人を見たらいつも「私だって、〇〇できるもん!」って張り合っちゃうんだよね。

誰かがエッセイやブログですごくいいことを書いていても「私だって、そんなこととっくに気づいてたもん」って思うことあるでしょう? 別にそこで競い合う必要はないのに、自分も考えていたことを誰かが言葉にしたのを見ると、なんだか悔しくなっちゃうんだよね。

 

人より自分のことが優れている、と思いたいが故に、一方的に格付けすることを「マウンティング」と言う。というのはごく最近知ったことです。それって、ずっとやっていると、常に誰かと自分を比較して、疲れちゃうよね。でもやめられない……。
私もいまだにそうです。そんな時、こんな言葉を見つけました。

「人の能力は、優劣に関係なく、それを誰かを助けるために使えるかどうかが重要」

なるほど〜、と私は目の前がパッと開けたような気分になりました。誰かより先に知っていることや、誰かよりたくさん気付いていることも、ただそれだけじゃ意味がない……。。
早めに気付いたことがあったなら、悶々と悩んでいる人にこっそり教えてあげて、その人の気持ちが少し軽くなればそれでいい。
誰かよりたくさん気付いていることがあったら、独り占めしないで、「こういう風に考えればラクになるんだよ〜」って、隣の人に伝えればいいい。

つまり、気付いたこと、知ったことは、「自分の格付け」のためにあるんじゃなくて、人に手渡すためにある、ということ。だったら、何かを手にしたら、どんどんパスを投げちゃえばいいと思うのです。
私も今まで、何かを知ったら「これ、いつかエッセイに書こう」と胸の奥の貯金箱にしまっていました。「誰も気付いていないこのことを、教えちゃうのはもったいない」とどこかで思っていたのです。でも、そうやってため込んでいくことが、なんだか苦しくなってきました。
そこで今は、もう気付いたらすぐパスしちゃう! でも、そうしてみるとね、不思議なことに、パスしたボールを相手が投げ返してくれたり、パスした先からさらにまた違う人へパスされて、どんどん回って私のところに返ってくるのです。そうすると、ひとりだけで抱え込んでいた時よりも、ずっと多角的な視点が生まれる……。

ノリコさんみたいに若くて自分に自信がないと、特に自分を自分で格付けして、自分の価値をあげておきたいって思うんだよね。でもね、そうやって自分で上げた格付けなんて、たかが知れているんだよ。自分の力だけなんて、大したことないんだから。
それよりも、自分の小さな力を誰かのために使った方がずっといい。そうやってパスを回しているうちに、きっと「信頼」というものが育つのだと思います。
だからノリコさんも、「そんなこと知ってるもん」と誰かと張り合う前に、その「知っていること」を誰のために、どう使おうかなって考えてみればどうかなと思います。
私も、つい張り合っちゃうことも多いけれど、なるべく軽やかに、速やかに、パスができる人になりたいなあと思っています。

 


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