台風19号の被害に遭われたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。
河川の氾濫が相次いだ今回の台風。我が家も目の前に川が流れているため、リュックに避難グッズを詰め、いつでも家を出られる格好で待機していました。
おかげさまでうちの集落全体は大事に至らずに済みましたが、引き続き油断はせず、日常を送れるありがたさを噛みしめながら過ごしていきたいと思います。
さて、本日は【おへそのおへそ】をお届けします。誰かのおへそ(=習慣)に触れて、自分のおへそにどんな変化があったのかを綴らせていただいているシリーズです。
前回の竹花いち子さんに続き、今回も28号に登場してくださった方をご紹介したいと思います。
一番大事なのは家族だけど、一人の時間も仕事もどちらも諦めない「二本立てのおへそ」を教えてくださった、フリーライターの村山京子さんです。
インテリア誌のライターとして、多忙な日々を過ごしてこられた村山さん。
出産後に一度お仕事に復帰されますが、ハードな仕事に体がついていかず。
現在は14歳、8歳、7歳の3人のお子さんを育てながらフリーのライターとして働き、ご実家の水産会社のお手伝いもされています。
子どもたちの話にできるだけ耳を傾けること、2種類のかつお節でだしをとること、自分時間は譲らないこと…。
素敵なおへそをたくさん教えてくださいましたが、私が村山さんのお話の中で一番心を動かされたのは、家事についての考え方です。
「家事はお母さんの仕事じゃない」
子育て真っ只中のお母さんから、こんな言葉が出てくるだなんて…!
でも、これは決して「お母さんは家事をやりたくない」という意味ではありません。
「家事は本来みんなの仕事。でも、まだみんなが小さくてできないから代わりにやっているだけなんだよ」
村山さんは子どもたちにそう伝えていると言います。
自分の幼かった頃を振り返ると、母親はフルタイムで仕事をしていたので掃除も洗濯も食器洗いも私たち子どもでやっていましたが、いつも「やらされている感」があって、家事は苦痛でつまらないものでしかありませんでした。
ところが、村山さんのお話の中で、そんな当時の私に聞かせてあげたいエピソードが紹介されていました。
それが「Go Go!清水丸」という物語です。
清水丸という一隻の船があります。
お父さんとお母さんの力だけでは足りなくて、家族みんなで漕がないと沈んでしまいます。
みんなを立派な水夫にするのが、お父さんとお母さんの役目。
だから、みんなで力を合わせて清水丸を守ってね。
村山さんオリジナルのお話ですが、「子どもたちが自分を律する力と自分で立つ力を育てるのが母親の役目」というご自身の考えと、ご家族への愛はもちろん、ご実家の水産業への愛もたっぷり詰まっていて、心がじんわりとあたたかくなりました。
こんな風に読み聞かせてもらっていたら、あの頃の私も、もうちょっと気持ち良くお手伝いができたでしょうか…。思わず母親の顔が浮かびました。
船が順調な航海を続けるためには、どんなにしんどくても、漕ぐ手を止めてはいけない時があります。
それと同じで、健やかな日々を送るためには、どんなに面倒でも、どんなに辛いことがあっても、家事をやらなくてはいけない時があるのだと思います。
もちろん、疲れていたり、どうしようもなく悲しいことが起こったりして、家事なんてできない!という日もあります。
しかしこれまでの私は、疲労や体調や機嫌を言い訳に、「いかに家事をやらないで済むか」という方向に舵を切っていました…。
やらない理由を探すのが得意になる一方で、どこか荒んでいく家の中の空気を確かに感じていたのです。
子どもの頃は親にやらされていると思い込み、一人暮らし時代は他にやる人がいないからと何も考えず義務的にやるだけで、結婚したらしたで夫のためにやっていると思い込む…。
お恥ずかしながら私には、「自分も家族という船に乗っている一員である」という自覚が全くありませんでした。
家事は、誰にとっても自分ごと。今は「いかに毎日の家事を続けられるか」という方向にグイッと舵を切り替え、掃除にしろ洗濯にしろ、「やった方が気持ちが良いんだな」という実感を積み重ねているところです。
村山さんのお話を受けて、ある方のことを思い出しました。
25号に登場してくださった、禅僧の南直哉(みなみ じきさい)さんです。
悲しいことがあったら存分にクヨクヨすればいい。大事なのは感情の水路を作っておくこと。頭と体を切り離してルーティンの日常を送ることで、日常が悲しみを流す水路になる…。
そんな素晴らしいお話をしてくださいましたが、この南さんの「水路」という表現と、村山さんの清水丸の「船」というイメージが、私の中で「流れ」というキーワードにつながりました。
もしかしたら、日常とは、流れている状態そのものを指すのかもしれません。
幼い私には毎日同じことを続ける意味が理解できませんでしたが、今ならわかるような気がします。
汚して、洗って、また汚れて。途方に暮れそうになる日もあるけれど、その繰り返しこそが日常であるなら。
手を動かし続けることで、心の流れを止めない自分でいられるのなら。
移ろう景色を眺めながら、今日も明日も、家族という名の船をせっせと漕いでいきたいなあと思います。