いつもの外側に

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少し早めにお休みをいただき、台湾にきていました。
本日最終日、帰国します。

旅に出ても出なくても、年末年始はちょっと
「いつも」の外側に出て、ゴミ箱を空にし、再起動したくなります。

旅に出て、数日間はどうしても「ああ、あの仕事やり残したよな」とか
「帰ったら、あれやらなくちゃ」など
いろんなことを考えてしまいます。
数日かけて、だんだんとそんなあれこれが消えていくのと入れ替わりに
もっと大きなときの流れや空間の中で
いろんなことを眺めることができるようになってくる……。

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そして、ああ普段、私って連れ合いに大層えらそうにしてるよなあとか、
両親が元気でいてくれるから、こんな風に旅に出れるんだよなあとか、
これから先、欲張らなくてもいいから、小さく幸せに暮らしたいなあとか……。
いろんなことを考えるようになります。

きっと普段の日々の中でも、
今日しなくちゃいけないこと、明日するべきこと、その次の日にすること……
を考えるのを、ちょっと横においておく。
一日のうちのほんのちょっとでも、そういう時間が必要なんだよなあ。

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旅に出ても出なくても
年末年始は、この1年で読んだ本の中からベスト3を持ち歩き
読み直すようにしています。
今読んでいるのは「嫌われる勇気」。
アドラーの教えのお話です。

2回目の読書は、
『初めて』体験ではないので、
より小さな言葉が胸に染みます。
アドラーは、過去に支配されない生き方を説いた哲学者です。
過去にこういうことがあったから、今うまくいかない。
と原因と結果で考えるのではなく、
今、こういう状態なのは、私が今そう望んでいるから。
と考えます。

「自分の経験によって決定されるのではなく、
経験に与える意味によって、自らを決定するのである」

 

そんな世界の中には、他者との優劣は存在しない。
より優れた存在であろうとする欲求は
「人を押しのけながら階段を登ろうとする」のではなく
「いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある」。

幸せそうにしている他者を心から祝福することができないのは、
対人関係を競争で考え、他者の幸福を「わたしの負け」であるかのようにとらえているから。

 

そして今回、より心に刺さったのがこの言葉

「『人々はわたしの仲間なのだ』と実感できていれば、
世界の見え方はまったく違ったものになります。
世界を危険な場所だと思うこともなく、
不要な猜疑心に駆られることもなく、
世界は安全で快適な場所に映ります」

 

「いつも」の一歩外に出て、カリカリせずに「いつも」を眺めたから
この言葉がしみじみ心に降ってきたのだろうなあと思います。

しっかりしよう、がんばろう。
いつも仕事をしながら、そんなことばかり考えているけれど、
もう少し穏やかな、平かな目で
日々を過ごせたらいいなあ。

2016年の終わりにそんなことを考える1日でした。

今年の更新は今日で最後です。
この「外の音、内の香」を立ち上げて、
まだ少ししかたっていませんが、
いろいろな方に「楽しみにしています」と言っていただけることを
とても嬉しく思います。

また来年も、そのときそのときの
私が聞いた「音」を
それを変換した「香」を
お届けできればと思います。
みなさま、よい新年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 


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