読書の時間 隠し続けてきた自分の心が、ぎりぎりのとぎに浮上したんだなす

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私は、活字中毒で、いつも何かの本を読んでいないと落ち着きません。
そして、1日の中で何冊かの本を同時進行で読む、というヘンテコな癖があります。

仕事に出かける時に、カバンの中に入れるのは持ち運びにかさばらず、重たくない単行本や新書が中心です。
井の頭線の沿線の車窓の風景は四季折々にとても美しいので、
膝の上に広げた本を読み、時折顔を上げて外を眺める。
それを繰り返しながら、風景と本の中の世界を行ったり来たり。サンドイッチのように楽しみます。

お風呂の中も貴重な読書タイム。
ここは、仕事で読まなくてはいけない本や、料理本など実用書がメインです。
以前、何かの本にも書きましたが、料理本を「読む」ということってあまりありませんよね?
新しい料理本を買っても、自分が作るページだけを読む、ということがほとんど。
その結果、あまり作ろうという気持ちがおこならいページは「読まない」ことになります。
でも、お風呂のフタの上に料理本を広げて、1ページ目から目を通すと、
パラパラとめくるだけでは引っかからなかった料理が、意外と美味しそう!と発見したり、
そうか、ここがコツなんだ!と知ったり。
何より、お風呂の中で読んだ記憶を、翌日の夕方引っ張り出して、
「よし、あれ作ろう」と献立を決めるフックになってくれます。
そして、一番読みたい本を読むのは、ベッドの中で。
やっぱりここは小説が多いです。
眠る前のひと時は、ほんの1〜2Pでも
「あ〜、この物語の中に入り込めて幸せ」と感じたい……。

そして、ここ数日没頭したのが、今年の芥川賞受賞作、若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新書)でした。
いや〜、おもしろかったな〜。

若竹さんは、63歳の主婦。55歳から小説講座に通い始め、8年の時をかけてこの本を執筆したという方です。
読み始めると、「え〜?」とまずは驚きます。
読みにくい……。
というのも、全編を通して続くのが主人公、桃子さんの東北弁の独白。
一体何を言っているのかわからない……。

ところが、不思議なことにページを繰るごとに初体験にもかかわらず、それがわかってくるのです。
そして、東北弁のリズムにズブズブと足がはまり込み、物語の奥深くへ引きずり込まれていく……。
そんな感じ。

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桃子さんは74歳。
年をとることとはなんだろう?という素朴な声にまずは心をつかまれます。
「若さというのは今思えば本当に無知と同義だった。
何もかも自分で経験して初めてわかることだった。
ならば、老いることは経験することと同義だろうか、分かることと同義だろうか。
老いは失うこと、寂しさに耐えること、そう思っていた桃子さんに幾ばくかの希望を与える。
楽しいでねが。なんぼになっても分がるのは楽しい。内側からひそやかな声がする。その声にかぶさって、
んでも、その先に何があんだべ。
おらはこれがら何を分がろうとするのだべ。何が分がったらこごから逃してもらえるのだべ」

 

そして、この本の中で私心震えたのが、夫を亡くした桃子さんの魂の気づきの箇所。

「周造が死んだ、死んでしまった。おらのもっともつらく耐え難いとぎに、おらの心を鼓舞するものがある。
おらがどん底のとぎ、自由に生きろと内側から励ました。あの時、おらは見つけてしまったのす。
喜んでいる、自分の心を。んだ。おらは周造の死を喜んでいる。そういう自分もいる。それが分がった。
隠し続けてきた自分の心が、ぎりぎりのとぎに浮上したんだなす」

 

これは、8年前にご主人を亡くされた若竹さんご自身の気づきだったのでしょう。
一番大事な人の死を通して「おらは独りで生きでみだがったのす」と発見する……。

人は、自分が本当に何を望んでいるのかさえ自分で「わかる」ことができない。
そして、ズタズタに傷ついて、悲しみにくれ、絶望した時、それがふっと水面に浮き出してくる。
そんな人間の不思議さ、残酷さ、強さ、優しさを、教えてもらった気がしました。

私たちは、何かを発見しながら、生きているけれど、
パキッとした答えが出ないことだってある。
でも、善があるから悪がわかり、死を知るから生を感じ、喜びの向こうに悲しみがあることを知る……。
人間って面白いなあ。
そんな一つ一つを知っていくことが、生きていくってことなのだなあと
ページをめくるたびに心にストンストンと桃子さんの言葉が響きました。

よかったらぜひ読んでみてください。

 

 

 


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