
朝、明るくなるのが早くなって、ウォーキングに出かけたら、
足元の植物たちが見えるようになってきました。
今日見つけたのが、この小さな星のような白い花。
なんていう名前なのかなあ〜。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
さて!
昨夜は、蔵前の「透明書店」さんで、
「暮らしのおへそ vol41」発売記念の、小さなお話会を開きました〜。
7時半〜9時半という夜遅い時間にもかかわらず、
足を運んでくださったみなさま、配信で見てくださったみなさま、本当にありがとうございました!
ゲストは、簗田寺の住職の齋藤紘良さん。
こじんまりと、みなさんとの距離が近い中、いろんなお話を聞きました。
いや〜〜!
楽しかったなあ〜。

紘良さんが話してくださった「ご縁」のお話は、
すご〜く理解するのが難しく、
私も、聞いてくださったみなさんも「むずかし〜」と悲鳴を上げながらも、
でも、何か「いつも」とは違う、頭や心のパーツが動き出したような気持ちになり、
世界を見るための、
今までとはまったく違う、「斜め」からの視点を教えていただいた気分でした。
紘良さんがおっしゃったのは、
この世の中にあるすべてのことは、「関係性」の中で成り立っているということ。
話しながら、テーブルの上に置いてあったペットボトルを指さして、
「このペットボトルが、ペットボトルだと認識できるのは、
ペットボトルでないものがあるから」と紘良さん。
つまり、私たちは「これ」を見て、「これ」の存在や意味を把握している、
と思い込んでいるけれど、
実は、「これ」は単独では意味を持たず
「これ以外」のものがあるから「これがある」と言い切れるのだと……。
ひゃ〜!
ぐるぐるしてきました。
「右」という概念は「左」があるから「右」だとわかる。
「右」という存在のみでは「右」は意味を持たないってこと。
「左」に対する「右」という「関係性」があってこそ、
そこに「右」という認識が生まれるってこと……。

だとすれば……。
「私」という存在も、「私だけ」では意味がなく、
他者との関係性の中で「私」が立ち上がるってこと。
え〜っ? そうなの?
とみなさんも、私もびっくり!
だったら、「私が私であろうとする」ことは、必要ないんでしょうか?
「そうなんすよ。自分の核というけれど、
それは、私が作ったものではなく、私と他者との関係性の中で
生まれてくるものなんです」と紘良さんは、教えてくれました。
この考え方が根底にあるとすると、
今までの私の在り方自体がぐらつきます。
自分にしかできないことを見つけよう。
自分らしく生きよう。
私ってだれ?
若い頃、ず〜〜っと模索し続けてきたことは、
もしかして、求める方向が違ったのかもしれない……。
「私とは」は、周りとの関係によって、どんどん変わっていくし、
「私」を見つけたとしても、時と共にどんどん変化していきます。
「これが私」と私が決めることはできない……。
すべては、周りの世界との関係性の中で、揺れ続けている。
「『ありのまま』であろうとするより『あるがまま』なんですよ」と紘良さん。
これが、
「暮らしのおへそ」の中で、紘良さんが語ってくださった
「私とあなたの境界線をぼやかす」ことなのだと、
その深い意味を、やっと昨日少し理解できた気がしました。

私が昨日、いちばんの衝撃だったのは、
「私とは」という確固たる答えは、「私だけ」では見つけることができない、
という事実でした。
「私」は、今まで私が出会ってきた人たちや、過ごしてきた環境や、
見てきたものとの関係性の中で、輪郭を「与えられた」ものなんだって……。
「これを知ったとき、僕はすごくラクになったんです」と紘良さんは教えてくれました。
きっと、来てくださった方も、昨夜のお話が
いったいどういう意味だったのか、
帰ってからも、ぐるぐる考えていらっしゃることと思います。
私も、あのお話がいったい何だったのか、今だにあれこれ考え続けています。
いや〜、人の話を聞くって、やっぱり面白いなあ〜。
みなさんは、最近何か新しい「言葉」を聞きましたか?
今日もいい1日を