文旦ジャムを煮ながら「かけがえのなさ」について考える

毎年「やっぱりニラだったんちゃう?」
と夫に言い続けられてきた庭の水仙が、今年やっと花をつけました。
雨に打たれてちょっと首を曲げてしまったけれど、嬉しいなあ〜。
毎朝、カーテンを開けて庭を見る度にニマニマしてしまいます。

3月になりましたね。
ウオーキングに出ると、沈丁花のいい香りが漂ってきます。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

不穏な世界情勢に胸が痛みます。

やっと、高知の「ろぼ農園」さんから文旦が届きました。
今年は、なかなか実が色付かなかったそう。

自然を相手にしたお仕事って、毎年天候が変わるから本当に大変ですね……。
そして、収穫は年にたった一度だけ……。
そんなことを考えながら、ダンボール箱のフタを開けたら、
ツヤツヤの文旦が輝いて見えました。

さっそくひとつむいてバリバリとそのままいただき、
その後は、毎年恒例のジャム作りを。
家中がさわやかな香りで満たされました。

分厚い文旦の皮を刻みながら、
NHK-oneで、「プロフェッショナル」を見ました。
前回の放送が、音楽家の牛尾憲輔さん。
私は、まったく存じ上げたなかったのだけれど、
「チェーンソーマン」や「ダンダダン」など、アニメや映画の劇中伴奏音楽を作る
世界的に有名な方なのだとか……。
「ばけばけ」の音楽も担当されているそう。

「メロディーやリズムには全く興味がない」
という彼が、唯一こだわるのが、「音質」です。
その音を聞いたときの感覚……。

今まで買ったシンセサイザーは70台以上で、
それを駆使して音を重ねていきます。

部屋にこもっているだけでなく、
「その音」を求めて、現場を訪ねてみることも。

アニメのための劇中伴奏曲を作るプロセスの中、
なかなか「その音」が見つけられなくて、苦しみながら曲を作る様子を
カメラが追っていました。

そんな中で心に残った言葉が
「音楽だけで成り立っていなくていい」
というもの。

「むしろ、成り立っていない方がいい」そう。

「作品から引き剥がしちゃったら、なりたっていないものの方が魅力的に思える」
「自分をまっさらにして、ひたすら作品に寄り添うくことで、生まれるものがある」

「物語にとって、切り離すことができない曲を生み出す」。

彼の七転八倒は、
やりすぎている自分、出過ぎている自分と向き合い、
自分の姿をギリギリまで消し去って、
作品の影に隠れる、なくてはならない「音」を見つけるためでした。

すごいなあ〜。
いろんな映画監督が、「牛尾さんじゃなくちゃ」と全幅の信頼を置くのは、
牛尾さんが、ひたすら自分を小さくするために、
自分を削り続けたからだった。
その事実に驚きました。

人は誰もがかけがえのない存在になりたいと思うけれど、
「かけがえのなさ」って、
決して、「私は」と自分を主張することじゃない……。
そう教えてもらった気がします。

誰かにとって、「なくてはならない人」になるとは
「その人がいなかったら困る」という存在になること。
「いなかったら困る」と感じるのは、
その音がそこにないと、作品が成り立たない。
その人がそこにいないと、ピースが埋まらない。
その人の存在がないと、心が満たされない、ということ。

自分の存在価値って、他人より頭ひとつ上に出ること、だと思ってきたけれど、
実はそれは逆で、
自分の姿を小さくして、徹底的に相手の役に立ってこそ、
「あなたがいなかったら困る」存在になれるのだなあと思ったのでした。

だったら、私は何をしたらいいのだろう……。
と考えています。

みなさま、今日もいい1日を


一田憲子ブログ「日々のこと」一覧へ