
やっと湿度が少し下がり、暑いもののさらりとした風が吹く中、
朝のウォーキングに行ってきました。
さて……。
今、私は「暮らしのおへそ」の初稿戻しのまっただなか。
取材させていただいた方に初稿を送りチェックしていただいて、
それをとりまとめます。
おひとりおひとりから初稿が戻ってくるたびに、ドギマギします。
大きな直しはないかな?
私が書いたこと、気に入っていただけたかな?
などなど。
そして、メールに添付されている赤字の入った初稿をちらりと見て、
その「赤」の量が多そうだと
「ふ〜」とため息をつきたくなります。
もちろん、間違いを正していただくのは当然だし、
私が勘違いしていることもたくさんあるし、
そこに赤字が入って当たり前なのです。
なのに、どうしても「あ〜あ」と思ってしまう。
たぶん、「直される」ということが、
自分がやったことを「否定される」ように感じられるからだと思います。
「私が否定されているのではなく、私が書いた間違えた文章を指摘されているだけ」
とはわかっているのですが、
毎回、ちょっとどんよりします。
でも……。
「さあ、じゃあ転記しよう」とその赤字をじっくり見てみると、
「あ、なるほど!」
「そうか、そうか、その通りだよね」
とすぐに納得できます。
「ひや〜、こんなにたくさん!」とちら見して思っていたのに、
案外、そうでもないことも。

人が「悪いことが起こっている」と感じても、
その大抵は「悪いことじゃない」んだよなあ、としみじみ思います。
誰かがこっちを見ながらコソコソ話していたら、
単に昨日のテレビの話をしているだけなのに、
悪口を言われているような気がしたりします。
それと同じ……。
誰かに私の間違いを指摘されたり、
反対意見を言われて、
「ちらり」と聞いたり、見たりしただけでは、
「あ〜あ、なんて私ってダメなんだろう」
「なんて私って、人に愛されていないんだろう」
と思ってしまうのは、それを「ちらり」としか見たり、聞いたりしていないから。
ちゃんと向き合って耳を傾け、理解しようとしてみれば
「そっか、私のこの言い方がダメだったんだよな」
とちゃんと腹落ちさせることができます。

先日、NHKプラスで「NHKスペシャル」の「小児集中治療室の日々」という番組を見ました。
東京・世田谷の国立成育医療研究センターの小児集中治療室・PICUを半年間密着取材したもの。
外科、内科、つらい治療に心が折れかけている子供や、それに寄り添う親のケアをする心理学の専門家。
多くの医師が連携をとって、小さな命に向き合っていました。
肺がうまく機能しない男の子は、口から肺へ管を通していて、その違和感で夜も眠れないと泣きます。
すると、緩和ケアの意思が薬を調整し、やっとその子はすやすやと眠っていました。
ある赤ちゃんが亡くなってしまった日。
担当の男性医師がベッドの横で泣いていました。
そして、お母さんと一緒に車に乗って帰っていくとき、
病院のスタッフみんなが深々と礼をして見送る……。
「医療の技術も大切だけれど、そういう『情』のようなものを大切にしたい」
と語っていた医師の言葉に驚きました。
お医者さんって、たくさんの患者さんを診るのだから、
いちいち泣いていては心がもたない。
だから「情」なんてないんじゃないかと思っていたから……。
私が大腸ポリープの手術で入院したときも
「どうせ、私は大勢いる患者さんのひとりにすぎないんでしょ」
と、ちょっと斜に構えて見ていた気がします。
これも、校正の赤字と同じなのかも。
「ちゃんと中身を知らない」と、どうしても悪い方へ、悪い方へと考えてしまう……。

「だまされるもんか」
「傷つけられるののか」
とバリアを貼るよりも、
もっと私は世界を信頼してみてもいいのかなあと思いました。
周りにいる人を「自分を傷つける人」と見るのではなく、
仲間であり、「きっとあの人も優しいはず」と信じてみる……。
そんなプラスの人付き合いができればいいなあと思うこのごろです。
みなさんは、隣にいる誰かを「いい人」と思えますか?
今日もいい1日を!