朝、日が昇るのがどんどん遅くなっています。
ウォーキングからの帰りにやっと空が明るくなってくるぐらい。
でも、この時期だからこそ目撃できる朝焼けが私は大好きです。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
さて。
小川糸さんの新刊「小鳥とリムジン」(ポプラ社)を読みました。
本には2種類のタイプがあるなあと思います。
ひとつは、次の展開が気になって「どうなるの?」とページをめくる手が
どんどん早くなっていくもの。
そして、もうひとつは、飴玉を舐めるように、
読み終わってしまうのがもったいなくて、
口の中で飴を転がすように、ゆっくりゆっくり読みたくなるもの。
糸さんの小説はいつも後者のタイプです。
ストーリーというよりは、
物語の中に流れる空気をずっと吸っていたい。
おいしいものの匂いや、部屋の中の家具の質感や、空や木々の色や音。
そんなすべてに包まれていたい、と感じさせられます。
この「小鳥とリムジン」は、
幼い頃から辛くて、苦しい体験をしてきた主人公の小鳥ちゃんが、
「リムジン弁当」の理夢人くんと出会って
自分を少しずつ開き、再生していく物語。
なかなかハードな過去の描写は読むとつらいものだけれど、
その辛さが、
理夢人くんの作るお弁当や、話しかけてくれる言葉や、小鳥ちゃんの繊細な心の描写など
相反する世界と少しずつ、溶け合って、
辛さがあったから故の発見や、幸せにつながっていく……。
そんな甘辛バランスに、
途中何度も涙しました。
ユリの花についてふたりが話すシーン。
「僕は、正直苦手だったの。なんか、自分が自分がっていう自己主張が強い感じがして、
香りも強すぎて」理夢人が言った。
(中略)
「でもさ、ある日、僕は人里離れた静かな森の中で、
一輪のユリと出会ったんだ。そのユリは、人知れず、木陰でひっそりと咲いていたんだけど、
その姿が、ものすごく生命力に溢れていて、魅力的で、まるで妖精みたいだった(中略)
それで気づいたんだ。花屋さんで売られているユリの花は、本来の姿ではないんだって。
(中略)
こっちさえ扉を開いたら、そういう大自然の神秘みたいなものを、山はいくらでも
出し惜しみせずに教えてくれる。
ユリの花を、単なる情報として頭で知るんじゃなくて、
この体のセンサーを通して肌感覚でお腹で受け入れると、
今まで見えていなかった世界がありありと見えてくるんだよ」
お弁当について理夢人くんが語るシーン
「日本だとさ、耐え忍ぶとか我慢とか、自分を犠牲にすることが
美徳みたいに言われるでしょ? でもさ、僕は全然そう思わないんだ。
(中略)
一日一食でも、蓋を開けた瞬間ニコッとして、
誰かがちゃんと心を込めて手作りした食べ物を手に入れたら、
小さな小さな積み重ねだけど、
長い目で見れば人生が変わってくる気がしない?」
読みながら、糸さんが暮らす山の家を思い出していました。
都心で仕事をしていると、
すぐに結果が出ることばかりを追いかけて
「待つ」とか「観察する」とか「感じる」など
時間をかけて体でわかっていくことを、
すっ飛ばしてしまいます。
本の筋=ストーリー=何がどうしてどうなった、という事実ばかりを追いかけて
そこに匂い立つ、ごはんの湯気や卵焼きの音、煮物の香り
窓からの光や、足裏の肌触りなど
体を包み込む「空気」みたいなものを
感じることをシャットアウトしてしまう……。
でも、本当のシアワセって、
何がどうしてどうなった、という結果ではなく、
その途中の「今日」という一日で、
「おいしかった〜」とか「気持ちよかった〜」ってことなんだよなあ〜、
と改めてこの本を読んで思いました。
そんな風に「自分が感じられるペース」で暮らすことが
きっと大事なんだろうな。
読み終わって本を閉じてから
「なにもしない時間」を味わってみたくなりました。
みなさま、今日もいい1日を