入射角を浅く

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先日のこと。
朝ごはんを食べながら
「あ〜、明日はやっとお休み。取材もないし、急ぎの原稿もない。どっか遊びに行きたいな〜」
と話をし、仕事に出かけました。
すると帰ってくると、連れ合いが
「前日割で、朝食付きで安いホテルがあるよ。今から行く?」と……。
時間はすでに夜の7時。

「行っちゃう?」
「行っちゃおか?」
「行こう!」

とそそくさと準備をして出発。目的地に着いたのは10時すぎでした。
で、
翌朝6時。カーテンを開けたところがこの風景です。
目の前には浅間山がくっきり!
ひゃっほ〜!

ベランダでコーヒーを飲むだけで、「あ〜、来てよかった!」と思ったのでした。

 

この頃、しきりに考えていたのが
「入射角を浅くしてみようか?」ということです。
何かを感じたら、深く考えずにパッと反応するっていう意味。

今回も、よ〜く考えたら
「晩ご飯の材料買ってきたのに」
とか
「切羽詰まってないけど、こんな時こそ、あの仕事の準備を始めないと」
とか
色々あるわけです。
これが、入射角が深いってこと。つまり塾考するってことです。

でも、
「わあ、楽しそう」
「気持ち良さそう」
という、直感で「よーく考えて」ブレーキがかかる前に動き出す。
そんなリズムって、意外に大事なんじゃないかと思うようになりました。

私たちの周りでは、いろんなことが起こります。
それにいちいち反応していたのでは疲れてしまう……。
それで、知らず知らずのうちに、心にフタをして
反応を鈍くしている……。

私はいつもバタバタと仕事に追いかけられているので、
立ち止まって感動することをパスすることも度々……。

さらに、何かを感じて行動を起こすなら、
深く考えてからじゃないと、
という優等生的思い込みもあったりして。

でも、道すがら咲いているクチナシの花に、ちょっと立ち止まって鼻を近づけてみたり
新聞のニュースに「え〜?こんなことってあり?」と怒ってみたり、
電車の中で読んだ本の一節に深く感動して、晩ご飯の時に熱く語ったり。

世の中に散りばめられている「いいこと」(時には悪いこと)に
たとえ浅くでもいいから、
卓球のラリーのように
もっと反射神経的に反応できたらいいな〜と思うのです。

 

もちろん深く考える時があってもいい。
でも、周りの出来事に、敏感にピピッと反応し、笑ったり、ワクワクしたり、
涙したり、プンプンしたり、
心の筋肉をもっとこまめに動かす毎日もいいなあと。

そんなラリーを続けていたら、
今まで素通りしていたことの中から、
自分に本当に必要な何かを
ギュッと掴み取れるんじゃないか?
そんな気がしています。

 


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