「くさい言葉」の中にある真実に正直に

今日の東京は朝からピカ〜ンとお日様が顔を出しました。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

朝のウォーキングに出かけると、足取りでその日の体調がわかるようになってきました。
先週、出張に出かけていたワタクシ。
出張先では、つい食べすぎたり、夜寝るのが遅くなって寝不足になったり。
いろんな人に会うのはワクワク楽しくて、大好きなのですが
今のご時世では移動するだけで緊張して、意外に疲れているのかも……。

そんな翌日は、歩いても足がなんだか重たいのです。
週末お昼寝をしたり、早めに寝たり、軽めの食事をしたりして、
やっと今日の朝は、足取りも軽くサッサカ歩けて、
「ああ、私、普段に戻れたんだな〜」と思いました。

どこかで自分の健康をチェックできる機会を持つって、
なかなかいいものだと思います。

ふといい香りがして、クンクンと鼻を慣らしながらあたりを見渡したら、
見つけました!
もうクチナシの花が咲いているのですね〜。

 

さて、最近のウォーキングのお供は平井大さん。
明るくポジティブな歌詞が、1日のはじまりにはぴったりです。
でも、前向きな歌詞を聞きながら、
もしかして、大さんご自身はネガティブな人なんじゃなかろうか?って想像しています。
だって、ネガティブだからこそ、反対のポジティブへひっくり返そうともがく……。
そのプロセスが歌詞になるんじゃないかなあと思うから……。

以前もここで
「なにげない日常に花束を。
なにげない景色に額縁を」という歌詞をご紹介した「題名のない今日」という曲に、
もうひとつ、最近心にひっかかるこんなフレーズがあります。

「例えばポケットにクッキーを見つけたら
それをバレないようにこっそり食べてしまうより
みんなと分け合って笑っていられるような
そんな人がヒーローって呼ばれる世界の方がいい」

以前の私だったら、「いや〜、臭い歌詞だなあ〜」と思っていたかも(平井大さん、ごめんなさい!)
当たり前の真実って、言葉にしたとたん、なんだか恥ずかしくなってしまいます。
でも……。
最近、この通りだなあって思うのです。

 

自分が持っているものを、自分だけで握り締めず、誰かに手渡す。
すると、自分もハッピーになる。
いたって当たり前のことなのに、
その素晴らしさに、この歳になってやっと気付けたかなあと思うこのごろです。

私は、フリーライターなので、何かいい情報を得ると
「よ〜し、私が取材してやる〜!」みたいに思って、
そのことを誰にも教えず、こっそり自分で持っていました。
たとえば、誰かが引っ越して素敵な家に住んでいるらしいとか、
あの店には素敵なものがあるらしいとか、
あの人が面白そうとか……。

でも……。
私の回りで楽しそうに笑っている人たちは、
誰もが、自分が見つけたいいものを、誰かに手渡すことがとても上手でした。
「ねえねえ、いちださん、こないだ京都に行ったんだけど、あそこのお店がすごくよくて」とか
「ねえねえ、いちださん、こないだ会った人がすごく面白くて、ぜひ一田さんに紹介したくて」とか
「ねえねえ、いちださん、お金の管理に困ってるって言ってましたよね。このソフトがすごくいいんですよ」とか。

惜しげなく、自分の手にあるものを渡してくれる……。
すると、私はその人への感謝をずっとずっと心に持ち続け、いつかお返しをしたいと思うようになります。
そして、いつか「あ、これあの人に教えてあげよう!」とメールをするだけで
「あ〜、よかった〜!」とワクワクする。
そんなやりとりの中で、
どんどんいい流れというか、いい渦が生まれて、みんなでいい方向へ向かっている気がする……。

そこで、このごろは、
いいものを見つけたり、知ったりしたら、
握りしめるよる前に、トスをする感覚で、誰かにハイッとお渡ししよう、と思っています。

「i padでは、goodnoteっていうソフトがすごくつかやすくていいんだよ」みたいな情報はもちろん
私が持っているライターというスキルも
「そんな私が人に教えるなんて、とてもとても……」と妙な謙遜をしないで、
欲しい人にはじゃんじゃん手渡す……。

いいものを人に渡すと、
抱え込んでいた時の、ずど〜んと重い感覚がなくなって、どんどん身軽になっていく気がします。
そして、「私だけ」がハッピーなのではなく、
「みんなで」ハッピーになった方が、ずっと楽しい!

そんな循環の中で過ごしていけたらいいなあと思うこのごろです。

みなさんは、どんな時、誰に何をパスしますか?

 

 

今日もいい1日を〜!


一田憲子ブログ「日々のこと」一覧へ