【モヤモヤ女の読書日記】私に効く本、いただきます「後味が残るエッセイとは」梅津奏

今年は妙に旅行づいています。

自分から積極的に旅に出るタイプではないはずですが、今年はなんだか様子が違う。「あ、あそこ行きたいな」と思ったタイミングで休みがとれて、友人とも息を合わせてスケジュールが調整できて、「あれ、行ける。じゃあ行こう!」という調子で身軽に旅に出かけています。

いつも同じことで悩んでいることに定評がある私ですが、最近は自分が書く文章について日々あれこれと考えているところ。もっと違う風に書いてみたい。もっと新しい感じに書いてみたい……。「もっともっと」と思ってはいるのですがなかなかイメージが具体化せず、もがいている真っ最中。悶々としているので、旅行はよい気分転換になっています。

 

ブックカフェを探しに来たはずなのに、紙屋さん……?と目が点に。昔のお店の外装を残してあるのですね。裏に回ると本屋さんの入り口があります。

これを書いている今は、長野県上田市にいます。

オンライン古書店のVALUE BOOKS(バリューブックス)が運営するブックカフェ、「本と茶 NABO」が今回の旅のお目当て。古書も新書もとりまぜてかなり面白いラインナップらしいと聞き及び、買う気まんまんで訪れました。それなのに、つい習慣で自宅の本棚から持ってきたのがこちら。(最終的に、7冊もの本を持って歩き回る羽目に…)

 

日曜日の万年筆』(池波正太郎/新潮文庫)

日曜日の私は、平日の私よりもいそがしい。――『日曜日の万年筆』より

鬼平犯科帳』や『剣客商売』シリーズで有名な時代小説家、池波正太郎さんのエッセイ集。13歳から働き始め、稼いだお金で神田や銀座の美味しいものを食べ歩いていたという少年時代。戦後に世の中がひっくり返ったのを目の当たりにして感じたこと。母や祖母・曾祖母の面影への憧憬。そして作家となった今、仕事や娯楽、美味しいものについて語ること。

池波さんは『真田太平記』を書くために上田に足しげく通っていたようで、この本にも上田で行きつけだったという「刀屋」というお蕎麦屋さんが紹介されています。

上田行きを意識して選んだ一冊ですが、道中少しずつ読んでいて「お、面白すぎる!」と開眼。開眼もなにも面白いに決まっている有名なエッセイ本なのですが、久しぶりに読んだせいか感動してしまって、思わず電車の中で友人に「ねえねえ、池波正太郎はすごいです!」と熱弁。友人の(そりゃそうでしょうよ)というびっくり顔にもめげず、この名作家の滋味深いエッセイの魅力に酔いしれてしまいました。

 

NABOさんの店内は二階建て。子どもの頃憧れたような、隠れ家みたいな雰囲気があってワクワクします。

白いワンピースを着た友人がフォトジェニックで連写する私。

 

エッセイは普段からいろいろ読みますし、自分があちこちに書いている文章もある種のエッセイだと思うのですが、いわゆる「日常ものエッセイ」でここまで心が震えたのは久しぶり。

飲み口はきりっと、喉ごしは爽やか、しかし後味がじんわり残る。

池波さんのエッセイはこんな感じです。(上田は暑くて暑くて、冷たい飲み物ばっかり飲んでいるので飲み物に例えた表現に…)

 

文章はあくまで読みやすく、変に人を驚かせるようなわざとらしい造作は無く、するっと読めてしまうのになんだか滋味深い味わいが心に残る。ああ、私が書きたいのはまさにこういう文章なんだ!

これと対極にあるのが、べったりとしたくどい甘さや、刺激の強い辛み酸味で人を驚かそうとする文章。エゴイスティックなまでに難解だったり妙な言葉遣いだったりで、読み心地がごわごわぐずぐずする文章。または、さらさら気持ちよく読めるけれども、味も香りも貧相で、後に何も残らない文章……。特に最後はまさに自分のことのようで、自分で書いていてぐさぐさと胸に突き刺さります。

人生経験や修行不足、そもそもの才能やセンスなど、大作家と自分を比べるなんておこがましいことと重々分かってはいます。でも、この一冊を久しぶりに手に取ってビビッときたこの感じをなんとか具体的に言葉にしたい。池波さんのエッセイの「後味」はいったい何からきているんだろうと、別所温泉につかりながらあれこれ考えてみました。

 

本はもちろん、おいしいお茶も種類がたくさん楽しめます。

冷茶とともに、古本を選びました。

 

「あくまで個人的であること」

思い出話をしていても、美味しい食べ物の話をしていても、仕事の流儀を語っていても。どんなときでも、池波さんは池波さんのままで、人の目を気にして語尾をぼやかしたり、誰かの声を代弁しようとしたり、主語を大きくして自分を大きく見せようとはしていない。あくまで「自分の声と言葉」で「自分の見たもの感じたこと」に集中していることが、独特の味わいになっているんじゃないかな。それが人によって、苦みになったり、甘みになったり、香りになったりするんじゃないだろうか。

上手に文章を書こうとするとつい、自分の実感以上に綺麗な言葉を使ってしまったり、一般論に落とし込むことで共感してもらおうとしてしまったり、教訓めいた着地にして含蓄をもたせようとしてしまったりします。そういうの、一度放り出してしまってもいいのかも。いいのかな?

随筆はあくまでも、つくらず飾らず、自分の全人格を、ありのままに出しきって書くものだとおもうし、私の場合は、ことさらに、それでないと一枚もペンがすすまない。――『日曜日の万年筆』より

上田で思わぬ再会をした大作家に、肩越しにヒントを投げよこされたような気分。私はまだまだ精進あるのみです。

梅津奏

梅津奏

1987年生まれ、仙台出身。都内で会社員として働くかたわら、ライター・コラムニストとして活動。講談社「ミモレ」、Paravaviで、女性のキャリア・日常の悩み・フェミニズムなどをテーマに執筆。幼少期より息を吸うように本を読み続けている本の虫。本の山に囲まれて暮らしています。

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