写真家 回里純子さん No4

 

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「タカラモノ・プロジェクト」がはじまる数年前、
回里さんは、とある作品展に出展する作品を撮影していたそうです。

両手で大切なものをそっと包み込む少女の写真……。
「大切なもの」はあえて表現しなかったそう。

これを機に「子供達にとって、いちばん大切なものってなんだろう?」と考え始めました。
一緒にプロジェクトに参加したスタイリストの友達たちと
「ちょっと聞いてみようか?」と
周りの友達たちに声をかけ
10人ほどの子供達に宝物を持って集まってもらいました。

「そうしたら、十人十色の宝物で……。
『僕の大事な妹です』と妹を連れてくる子、
虫を持ってくる子、
ぬいぐるみを抱えてくる子。
みんなのタカラモノを知れば知るほど、
大人の方がハッピーな気分になったんです」。

そこから、じゃあ、もっとたくさんの子供達に聞いてみようと、
100人を目指して、「タラカモノ・プロジェクト」がはじまったというわけです。

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ここで、回里さんは撮影の仕方をとことん考えたそうです。

「甘くならないのがいいな、と思ったんです。
子供はただそれだけでかわいらしい。
それを自然光でほんわりと撮るのは、今の表現としては違うな……と思って。
だから、白バックでファッション撮影に近いライティングで撮っています。
タカラモノとその子の関係性のどこを引き出すか。
まっすぐ正面を向いているだけでなく、
飛び跳ねても、めちゃくちゃな姿勢になっても
そういう瞬間を私はいいと思う」

 

さらに、回里さんにとっての「写真」について、こんな風に語ってくれました。

「この年齢の子供ならではの表現……。
それをつかまえるということは、『今』という時代の表現でもあります。
ここに『瞬間』を『永遠』に残すことができる写真というメディアならではの楽しさがあると思う。

写真には『伝える』という役目があるけれど、そこにはふたつの種類があると考えています。
ひとつは、つくられた世界を伝える。
これは、例えばファッション写真など意識して作り上げた世界を写し出すっていうこと。
もうひとつは、リアルな世界を伝える。こちらは、報道写真など無意識の、ありのままの世界を写し出すってこと。
この両方を交わらせることができれば……。それが私の写真の目指すところなのかもしれません。
そこが私らしさなのかもなあと思います」

 

「リアルさ」と「意図」が交差する……。
私は、仕事上いつも写真と接しているけれど、
そこには、こんな捉え方もあるんだ、と驚きました。
そして、自分の仕事に対して、こんな風に冷静に深く考察できるってすごい!と思ったのです。
私は「書く」ということが仕事だけれど、
「書く」ってどういうこと?なんて、
こんなに明確に説明できないかもしれない……。

やらなくてもいいけれど、やりたいこと。
それが回里さんにとっての「タカラモノ・プロジェクト」です。

だって仕事ではないのですから……。
やらなくても、だれも文句は言いません。
でも、それを「やりたい」と願い、「やった」からこそ、
こんな風に自分の仕事の意味を知ることができたのかも。

人は、なかなか自分がやっていることでさえ理解することができません。
「やらなくちゃいけないこと」だけをやっていると、それがますます見えなくなる……。
「やる」という意志をもって、何かに向き合ったとき、
初めてそこから「やる」ことの意味が生まれてくるのかなあと思いました。

 

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「タカラモノ・プロジェクト」の撮影は、まずは、子供たちへのインタビューから始まるそうです。
「それはなあに?」
「ぬいぐるみ』
「どうやっていつも遊んでるの?」といった具合。

「不思議なロボットを持ってきた男の子に
『それはなあに?」なんて聞こうものなら
『これはねえ』と全部分解し始める。(笑)
そして、また組み立ててやっと撮影。
この撮影は、大自慢大会でもあるんです。
ひとりにヘアメイクから全部いれると1時間近くかかることもありますね。
最初はまっすぐ立っていても、やがて飛び跳ねたり、最後には寝転がったり」と回里さん。

あくまで作品撮りなので撮影は郵送費とプリント代です。
スタイリストやヘアメイクの友人たちはボランティア。
スタジオを借りたり、撮影後出力して、協力してくれた子どもたちに送ったり……
ともちろん経費は自腹です。

 

4

さらに、「海外の子どもたちのタカラモノはなんだろう?」
とフランスやアフリカで撮影会を。
「去年、アフリカのザンジバルにいったんですが、
食べるものさえやっとという貧しい地域で、
子どもたちが持ってきてくれたのは、
ボロ布を巻きつけただけの手作りのサッカーボールだったり、
おばあちゃんちから借りてきたという聖書だったり。
ショックだったのは、スワヒリ語で『タカラモノ」という言葉がないこと。
生きるために必要なものだけしかそこにはない。
それでも、どんなに貧しかろうが、お金持ちであろうが、
目をキラキラさせてカメラを持った私の周りに寄ってくる様子は
みんな一緒でした。
そんなコミュニケーションは、どこの国でもなんら変わりはない。
そのことにちょっと安心しましたね」

海外にまで撮影に行くとなると、
その間、自分の仕事を休まないといけないし、旅費や滞在費もかかります。
「どうして、そこまでしてやるの?」
と無粋な質問をしてみました。

「仕事オンリーの日々だと、
私、なんのために写真をやっていたんだっけ?
とわからなくなるんです。
どうして、私は写真をやりたかったんだっけ?
と原点に立ち返るために、作品を撮っているんじゃないかなあ。
もちろん、仕事は大好きだし、テーマが決まっていて
その枠の中でできることをやる、という撮影も楽しい。
仕事も作品撮りも、どっちも私にとってはなくてはならないものですね。

ただ、何を撮っている人ですか?と聞かれたときに
私はこれです、と言えないのがイヤ。
私はこういう人です、という確かさを求めているのかなあ?」

そうして、最後にこう語ってくれました。

「今、こうして聞かれているから、いろいろしゃべっていますけど、
大勢の人がいる中では、私きっと突然黙りますよ(笑)。
苦手なんです。
すごくこの人としゃべってみたいんだけど、どう入っていったらいいのかわからない。
言いたいことが言えないもどかしさを、どこかで感じています。
それは、私が撮影している子どもたちの中にあるものと同じ。
子どもたちを見ていると、自分を見ているみたいなんですよね。

そして、何年かに一度、グワ〜ッと自分を爆発させたくなるんです(笑)」

 

回里さんは、物静かな人です。
でも、人は静けさと激しさ、
弱さと強さ、明るさと暗さ……と相反するものを
同時に自分の中に抱えているものなのかも。
ともすれば、静かな人は自分の心の奥底にある激しさを見て見ぬふりをしがちです。
気づいてしまったら、面倒臭いから……。
「激しい自分」が欲することをやろうとすれば、
「いつもの自分」とのバランスが取りにくくなります。

回里さんは、そんな相反するものを、きちんと自分の中でときに喧嘩させ、
ときに融合させ、
そこで生まれる化学反応を自分のものにしてアウトプットしているようでした。

 

もしかしたら、自分に正直に生きることが、
いちばん贅沢な「ワガママ」なのかもしれないなあと思いました。

 

 

 

回里純子 Junko KAISATO photographer

東京生まれ。跡見学園短大国文科卒業。在学中から音楽写真を撮り始める。
広告制作の写真事務所に4年間在籍。アシスタントを経て、以後フリーランス。
現在は女性誌、広告カタログ、書籍などで活動中。ジャンルもファッション、インテリ ア、フードなど幅広い。
http://www.junko-kaisato.com/category/profile

2010年よりこどもたちとタカラモ ノを撮るプロジェクト、タカラモノプロジェクト主宰。http://www.takaramono123.com

著書に写真集 「I  LOVE」 ( 2011年 mille books刊 )がある

主な活動

exhibition
2000 写真展 「LOVE&POWER」参加 青山スパイラルギャラリー
2006 写真展 「現代日本の写真vol.7」参加 銀座ARTBOXGALLELY
2009 写真展 「回里純子+角田みどり二人展」開催 銀座 ARTBOXGALLELY
2011 写真展 「タカラモノ123」 開催 六本木ヒルズumu(名 古屋、大阪巡回展)
2013 美術展 「MINERVA 8 in VENEZIA 2013」参加 クエリーニ・スタンバリア美術館
2015 美術展 「平成の遣欧使節作家ローマ芸術祭」参加 ローマ・ラ・サピエンツァ大学にて講演

 

 

 

 


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