皆さま、こんにちは。
ライター塾6期生の川阪果奈です。
この連載『カナのお暇』では、私の退職話を漫画『凪のお暇』に重ねながら、人生リセットストーリーとして綴っています。
さて、皆さまはこの夏、どんなドラマをご覧になっていますか?
私は『しあわせな結婚』を毎週楽しみにしています。
阿部サダヲさんと松たか子さんが演じる夫婦のドラマですが、今年は、新春ドラマ『スロウトレイン』、映画『ファーストキス 1ST KISS』と、色んな松さんが見られて贅沢な年だな~と思っております。
そんなドラマ大好きっ子である私が、今から数年前、ドラマの撮影現場に遭遇したことがきっかけで、会社を退職し、退職と同時にコロナ禍に突入したという前回「episode_3 カナ、ステイホーム?」からの続きです。
よろしければお付き合いください♪

数年前に、平井かずみ先生のワークショップで作ったハーブのリース。夏になると思い出します。
劣等感、こんにちは?
ステイホームにも慣れてきたころ、ふと、私は自分の中に巣食う「劣等感」に気づきました。
それはひらめきのように降りてきたのですが、退職したことで劣等感を感じるようになったのではなく、振り返ってみると、在職中からずっと劣等感を抱えていた気がします。
自信の無さ、焦燥感、不安感…。
それらは自分を走らせる原動力にもなっていたけど、その大元にあったのはどデカい「劣等感」なのでは?と、ふと思いました。
自覚したことがなかったので心底驚きました。なぜなら…
その理由は、漫画『凪のお暇』ではこんなふうに表現されています。
北国駅発東京駅行「ちゃんと」経由
仕事駅通過
安定駅通過
終着点は「ちゃんと」した人と「ちゃんと」結婚駅
28歳の凪ちゃんが目指しているその終着点、私は自分なりに到達できた(はず)。
さらに、ちゃんと働きながら子育てもしていた(はず)。
ちゃんとやれている私に劣等感なんて無い(はず)。
突然、思わぬものにぶち当たり、なんだこれは?!とオロオロし、「劣等感 原因」「劣等感 どこから」などを検索したところ、禅の本にたどり着きました。

まだまだステイホームは続きます。これは、謎の旅支度…
禅!禅!禅!
試しに読んでみた最初の本が面白くて、次々と購入。すっかり禅の思想にハマって、突然の禅ブーム、到来!!
著者はすべて枡野俊明(ますの しゅんみょう)さん。曹洞宗のお寺のご住職で、庭園デザイナーや大学教授もやられている方で、多くの著書がベストセラーになっています。
私が知りたかった「劣等感 原因」にはこんなことが書かれていました。
仕事の評価を他者と比べて、「勝った」「負けた」、
自分の恋人と誰かの恋人を見比べて、「勝った」「負けた」…。
まったく思いあたるフシなどない、という人はいないはずです。
しかし、この比較も妄想です。また、劣等感の裏返しである優越感も妄想ですし、さまざまな場面、局面での人間関係にも、おおいに妄想が入り込む隙があるのです。
人の心は妄想に”感染”しやすい。まず、このことを知ってください。わたしは、妄想にとらわれてる状態を「心のメタボリック症候群」と呼んでいます。
(中略)
その主たる症状は、自分を見失うこと、そして、ありのままに生きられないことです。
これは相当に深刻な事態だといわねばなりません。『劣等感という妄想』(桝野俊明著)
劣等感は…妄想?!心の…メタボ?!相当に深刻な事態?!思ったよりも、禅は容赦ないです。
おっかない文字が並びます。
美醜、貧富、善悪など、人間は対立的に物事をとらえがちです。
物事を相対するふたつに分けて考えて、こちらは良い、こちらは悪いと、えり好みをするのです。
執着というものは、実はそこから生まれるのです。
このことを禅の世界では「妄想(もうぞう)」と呼びます。
心がメタボになると、この妄想に取りつかれて、「もっと、もっと」が頭の中でぐるぐるまわるようになってしまいます。そうなると、いくら手に入れても、いくら自分が豊かな暮らしをしていても、「もっと、もっと」という欲望は消えず、満足することがなくなってしまいます。『禅の教えに学ぶ 捨てる習慣と軽やかな人生』(桝野俊明著)
満足することがない…。私がやってもやっても報われないと思っていたのはこういう感じでした。走っても走ってもどこにもたどり着けない。どこにたどり着きたいのかもわからないのに走ることをやめられない。妄想に取りつかれていただなんて、私は本当は病気で、病院に行くべきだったのではないかしら。
体のメタボはお医者さんに相談したり、フィットネスクラブに通ってトレーナーに運動プログラムを組んでもらったりすれば改善していけます。しかし、心のメタボはお医者さんには治せません。
自分で気付き、自分が主体となって直していくしかないのです。『禅の教えに学ぶ 捨てる習慣と軽やかな人生』(桝野俊明著)
ぎゃぼん。お医者さんには治せないって!えー!でも、深刻な状態なんだよね?
ワタシハドウスレバイイデスカ?教えて!枡野先生ー!
心のメタボを治す方法は、「知足(ちそく)」。足るを知ることだそうです。
すべてを手に入れようとするのではなく、「自分はこれだけあれば足りている。ありがたい」という気持ちを実感すること。
前回書いたドラマ『僕らは奇跡でできている』を思い出しました。
「もっと、もっと」と頑張るけれど、「あれもできていない、これもできていない」と自分を責めている人に、主人公が「僕はあなたのすごいところを100個言えます」と教えてあげるところに似ています。あれも知足だったのか?
私も自覚してしまったからには心のメタボを治したい。すっきりとして軽やかな心になりたい。
失ってばかりでスースーする今だからこそ、勇気を出して足るを知るのだ!

家の中でサンダルを履き始めました…
知足、デビュー
足るを知るためには何をするのかと言うと、その1歩目は掃除です。徹底的に掃除をしました。
子どもが保育園に通うようになってすぐの保護者会で、園長先生から「お母さん、掃除はしなくても死にません」と言われました。それは復職して間もないお母さんたちへの優しさの言葉でしたが、私はすっかり鵜呑みにしました。
働いていると、食事やその他の家事も「死なない」ことを最低ラインとするようになります。(私だけですか)?
毎日滑り込むように会社へ行き、倒れ込むように保育園へ。
お迎えのために保育園の玄関に入った瞬間にひっくり返りたい。ここがゴール?いや、まだまだ、ここからが本業。
うちの子は”寝ない子”だったので23時まで起きているなんてザラで、毎日21時から寝かしつけに2時間…。
振り返ると、私の心が最も荒んでいた時期は、最も掃除をサボった時期でした。
掃除の優先順位が低すぎて、掃除にたどり着かず、いつも掃除の手前で力尽きる日々…。
いや、「力尽きる」なんて嘘!単に逃げていただけです。自宅をネグレクトしていたのです。意図的に、自宅から目を背け、平日も外食をしたり、外へ外へと出かけていました。
禅寺では、毎日朝と事あるごとに掃除をするそうです。徹底した掃除を1日何回も行っているので、塵や埃はほとんどないのに、修行僧たちは念入りに掃除をします。その理由は、掃除は汚れたからするものではないから。
掃除とは、自分の心を磨くためのもの。(中略)
修行僧たちは「己の心を磨くように、床を磨きなさい」と教えられ、それを実行しているのです。『禅の教えに学ぶ 捨てる習慣と軽やかな人生』(桝野俊明著)
ま・じ・か!目から鱗でした。私は「汚れたから(仕方なく)する掃除」しかしたことがない!
大昔に観光で、永平寺に行った時のことを思い出しました。
開放的なのに静謐、いるだけで心が洗われるような空間でしたが、あの空間は、永平寺で修業をされている方々が、心を磨いてできたものだったのか…。
我が家があんな空間になるとは思えないけど、やってみよう。
なぜなら私は、時間がある妊婦。妊婦と言えば、雑巾がけです。(安産に良いと言われています)。
やらない理由がない!
私はただ拭くだけでは飽き足らず、もんじゃ焼きのヘラにマイクロファイバーの雑巾を巻き付けて、徹底的に隅々まで拭きました。
「何度でも 何度でも 僕は生まれ変わってゆく~」とMr.childrenの『蘇生』を歌いながら、一心不乱に拭き掃除。
自分の心に鬱積した汚れも一掃し、生まれ変わるような気持ちで掃除をしていたら、心の底から満足感が湧いてきました。
―私はずっと掃除がしたかったのか?
掃除と並行して、モノもたくさん捨てました。
20代の頃、近藤麻理恵さんの「片づけ祭り」をやったことがあるので、衣類→本類→書類の順でバンバン捨てていきました。会社用の服や、いつか着るかもという服も一掃。
やってみたら、これまたものすごい爽快感と満足感が湧き上がってきました。

テントの中ではサンダルを脱ぐというライフスタイルに。テントはもはや常設です。
ポチッ、改め、チクチク。
今回、禅の思想を取り入れて新たに意識したのは「物を修理して使う」ということです。
物を大切にすることは、すなわち命を大切にすることです。
物を修理することは、自分の心を修復させることにつながる。私たち僧侶はそのように考えているのです。『不安の9割は消せる』(桝野俊明著)
約5年ぶりの出産を控えていたので、赤ちゃん育児に必要なもので、既に家にあるものはキレイに洗ったり修繕して使うことにしました。
5年もあれば育児グッズはかなり進化しているので、新しいものを買おうかな~。デザインもかっこいいし!などと思っていたのですが、やめました。
授乳に便利な服がすこし破れていて、いつもなら捨てて新しい物をポチッと買いますが、試しにチクチク縫ってみたところ、これまた満足感が湧いてきました。
物に優しくできると、自分が優しくされている気持ちになるようです。
すっかりハマって、ゴミ袋を漁って修繕して使えそうなパジャマや子どもの服を救出してチクチク縫いました。こんなことは初めてです。
貧乏くさい?はしたない?いいえ、心を修復をしているのですよ~!!
漫画『凪のお暇』の凪ちゃんは、ゴミ置き場に捨てられていた扇風機を拾って、自分でスプレーで着色して使っていました。
元カレ・慎二に「汚ねぇ扇風機」とバカにされていましたが、捨てられていたものを拾って修繕して使うということは、凪ちゃんの心を修復する作業だったのかもしれません。
あらゆるフィルター、カーテン、エアウィーブの中身、ラグなどの大物も洗って、部屋がすっきりと片付いて、きれいになればなるほど満足感と自信が湧いてきました。
あれ?これは私が欲しくて手に入らなかったものでは?
やってもやっても報われない、何も手にできていないと思っていたけど、拭き掃除と洗濯、捨てることで手に入ってしまった!
これはどういうトリックだ?!
いつも手に入れるべきものは外の世界にあると思って手を伸ばしていたけど、違ったのか?手を伸ばす方向が間違っていた?だから手に入らなかったのかー。
捨てても捨てても、今必要なものは揃っている。「ない」と思っていたけど「ある」。
こじらせまくった挙句に湧いた「時間が欲しい」という心と直感は、「暮らしを取り戻したい」ということだったのだな。
「心と直感は、あなたがなにものになりたいかをなぜか知っている」。
スティーブ・ジョブズの言う通りだ?!

遊び相手は、ダッフィーのぬいぐるみ。
後日談
それからしばらく経ち、『暮らしのおへそ Vol.30』が発行され、断捨離のやましたひでこさんのインタビューを読みました。
断捨離は「出す」ことがキーワードで、出すためにはまず入ってくるものを止める。それが「断」。
断って捨て、出し続けていったら、最後に「離」の状態、執着から離れた自由な状態になるとのことです。
私は断捨離のことは詳しく知りませんでしたが、心のメタボを解消することは「離」の状態を目指すことと似ているなあと思いました。
会社をやめたことは「断」で、掃除に精を出したのは「捨」?
知らず知らずのうちに、私は断捨離を目指していたようです。
そして、「練習しなくてはできないのが引き算」と語られていました。
からっぽの空間にあれも買おう、これも買おうと希望を膨らませて足し算をして、いっぱいになったとき、希望が不安になってしまったことにすら気づかない。
思考停止が起きて、その状態で意思のある引き算なんてできるはずがないんですよね。
練習しなくてはできないのが引き算です。『暮らしのおへそ Vol.30』より
意志のある引き算…。
捨てられなければ1個捨ててみて、捨てたらどうなるかを味わえばいい。
まるでそれまでの数ヶ月間に起こったことに対する、答え合わせのような記事でした。
捨てるのも練習、やめるのも練習なんですね。
何事も一朝一夕にはいきませんなあ。
続く

ひとりぼっちというか、独り占めというか。