いちだ&さかねの往復書簡 Vol12  書き手として、ここだけは譲れないってことはなんですか?

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新米ライターの坂根美季さんと、私が交わす往復書簡。
「毎回、楽しみにしています」とか
「坂根さん、がんばれ〜って思うんです」とか
「自分と重ね合わせて読んでます」などなど……。

思っていた以上の反響をいただき、ちょっとびっくりしています。

今回は12通目になります。

 

 

いちださま

Vol.11の中で、一田さんの「多少ノートがグシャグシャだっていい!」の言葉に
「今のままでいいんだ!!」と安心している自分がいました。
ありがとうございます。

 

そして、今まで取材はメモのみでしたが、書き起こす時間もありますので、しばらくレコーダーと併用して取材をさせていただこうと思っております。

 

そんなお返事を書きながら、
一田さんは、取材の節々で「それってどういうことですか?」
と掘り下げて聞くことが、私と比べてすごく多いんじゃないか…ということを考えていました。
一見、カンタンな質問のようにも見えますが、
私は質問をした後、取材先の方の言葉に対して深くリアクションできないまま、
「きっと、こういうことだろう」と自己完結してしまい、
新たな切り口で、次の質問をしてしまうことがしばしばあります。

 

今後、その言葉がキラキラ光って見えるくらい、
「それってどういうこと?」と、取材先の方の言葉を瞬時に反応できる
アンテナを張ることが、ライターとして一歩前進する上での大切なポイントになるような気がしています。

 

では、次の質問です。

 

最近、一田さんの新刊本「明日を変えるならスポンジから」を、拝読させていただきました。
その中の三谷龍二さんのページから、

 

「なんでもない」と「なんでもいい」は違います。

「なんでもないもの」は、作り手が「これしかない」と最後に残した形。

 

という表現がとても印象に残っています。

 

そこで、
20年以上ライターとしてご活躍している一田さんが、
誌面を作る上で「ここだけは譲れない!」という、書き手として、
一番大切にしている根っこ部分が何かありましたら教えてください。

 

 

坂根さん

お〜、今回は随分大きなテーマでの質問ですね〜。
書き手として一番大切にしていること……。

なんだろう?

改めて考えてみて、思い当たるのは、
私が、「書く」ことができるのは、取材させてくださった「人」がそこにいる、
ということを忘れないでいたい、

ということかもしれません。
私たちライターの仕事は、誰かにお会いして、お話を伺い、
部屋や使っている道具の写真を撮らせてもらって
やっと誌面になります。
つまり、私一人では、いくら頑張っても誌面は作れないってこと。

取材する人、される人。
その両方がいて、初めて誌面が成り立ちます。

編集部で時々、取材させてもらう人のことを「ネタ」と呼びます。
私は、この言い方が大嫌い。
そこで暮らしている人がいるなら、それは「ネタ」ではないと思うのです。
そこに感謝がなければ、いい文章は絶対に書けないと思います。

 

「明日を変えるならスポンジから」で取材させていただいた
三谷龍二さんが作られる木の器やスプーンは、
とてもシンプルで、いたって「普通」の形です。
三谷さんは、「自分の姿は小さくていい」と作品づくりを続けてこられました。

使う人が、それぞれの家庭に器を持ち帰り、
自分だけの使い方で使うとき、
そこに作家の個性は必要ないと………。

もちろん、そう思っても、どうしたってこぼれ出てしまう「その人らしさ」があります。
それが、「なんでもないもの」であり、「これしかない」と残したもの……。

それって、ライターの仕事でも、他の色々な職業でも、主婦でも、
どんな立場にも当てはまることだと思います。

人は、「私が」と自分らしさを確立したいと望みます。
でも、「私はここにいます!」と押して押して押しまくっているとき、
残念ながら、その人らしさは、ちっとも伝わらない……。

相手のことを想像し、自分が一歩引いた時、
姿はないのに、その人らしさの残り香みたいなものが立ち上る……。
そんな風に仕事をし、暮らし、生きていきたいなあと思います。

 

 

 

 

 


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