色彩プロデューサー 稲田恵子さん No3

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専業主婦だった稲田さんは、40歳を目前に
子育てと家事だけでなく、
私に何かできることはないのだろうか?
と探し始め
大学で色彩心理学を学びました。

興味を持ったのが
「色で人の心が動く」ということ。
ここから、稲田さんの挑戦が始まります。

「色」の仕事といっても
インテリアコーディネートや
何色の服がその人に似合うか、
というファッションアドバイス的なことには
まったく興味が持てなかったそう。
何より、心惹かれたのは、
「色」によって、人の心が「動く」ということ……。
そして、色の仕事の枠を広げるということ……。

初めての仕事は、自動車工場の壁をレモンイエローに塗ることでした。

「自動車工場って、「汚い」「きつい」「危険」という3Kの仕事で
若い従業員がなかなか定着しないと聞いたんです。
給料を倍にしてみたら、
来るのは外国人ばかり。
その外国人のひとりが、
「どうしてここは、こんなに汚くて暗いんだ?」と
言ったんですって。
それで、社長が、だったら色だけでも変えてみようか?
と私のところに相談があったんです」。

当時の壁は、機械の油汚れが目立たないようダークグレーでした。
それを、明るいレモンイエローに変えると
空間がパッと明るくなっただけでなく、
「掃除をし、手入れをする」ということを
みんなが初めて手がけるようになったのだと言います。

次は山奥のダムの鉄の扉を
レゴブロックのようなブルーと黄色に。
すると……。
「ものすごく批判を受けたんですよ」
と稲田さん。
緑の木々の中に、
今までは鉄サビ色の扉があっただけたったのに
突如としてブルーと黄色になっていてびっくりしたとか、
見苦しいとか……。
「凹みましたね〜。
見慣れない色には『否」の声が多い。
それでも、時が解決してくれることを知りました」。

打たれても打たれても、また立ち上がることができたのはなぜですか?
と聞いてみました。
すると
「開き直りかな」
とからりと笑います。

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自動車工場、
ダムの扉、次に石油タンク。
そして、次に稲田さんが取りかかったのが
学校の保健室でした。
当時は、保健室登校が社会問題として
メディアにたびたび取り上げられていたころ。
さらに、白い壁に色を塗るだけではなく、
絵を描かせて欲しい、
と校長に直談判。

「『壁を卵色に塗るだけでもドキドキするのに
そんなこと言わんでくれ』って
校長先生に泣かれましたね。笑
でも、とても理解のある先生で、
『なんとか教育委員長に掛け合うから、
責任はふたりで半分こしよう。
私はクビになるかもなあ』
とニコニコ笑いながら言ってくださって」

こうして、保健室の壁に「オレンジシャワー」というテーマで
イラストレーションを展開しました。
さらに、廊下にあるドアを開けてもらい
元気な子供達も、保健室の中を走り抜けて
教室へと上がっていく「しくみ」を
養護教員とともに作りました。

「色がどれほど人の心に作用しているのか……。
それは、今日、色を塗って、明日結果が出るわけではありません。
だからこそ、続けていかなくちゃいけない
と思っています」。

 

いやはや、稲田さんの「ワガママン」っぷりには
驚かされます。
そこにない仕事を作る……。
それを支えたのは、「色は人の心を動かす」という確信だけ。
その姿に、「外見だけワガママンになろうったって無理よ」
と言われた気がしました。
優等生体質を抜け出して、
なんとか、自分の意志=ワガママで、
生きていくには、どうしたらいいのだろう?と思っていました。
ワガママンになるために、必要なのは、
何があっても揺らがない確信=種を見つけることなのかも。
次回はいよいよ「ホスピタルアート」に
着手する、稲田さんの挑戦をご紹介します。


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