いちだ&さかねの往復書簡 No3

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坂根

「大切なのは自分がどう感じたか、ではなく読者がどう思うか」
「黒子になること」

一田さんに、はじめての取材時にアドバイスをいただいた言葉です。
ずっとその言葉の意味を理解していないまま、今まで来ていたのですが、

「一旦自分の姿を消して耳を傾けてみる…」

という今回の言葉で、ようやく何かを理解しかけてきたように思います。
私は今まで、質問の基準がすべて「私」というフィルターを通していたんです。

「あっ、これ『私』の知らない家具のメーカーだ。聞いておかなくっちゃ」
「この収納方法『私』は知らない。読者の方にも興味をもってもらえるかも」など。

取材中に感じた疑問を、心ゆくままに、次々と自由に質問していました。
それは、自分の興味のある質問に対する答えを集めれば、
取材先のお宅の「暮らしのまんなか」がいずれ見えてくると
信じていたからなのかもしれません。

さて次も、まだまだ「私」が捨てきれない私からの質問です。
ライターは「黒子」といえども、取材先の方の意志とは関係なく、
取材の中で「あ~、ここに感動した」っという
感情が出てきてしまうこともあるかと思われます。
もしかしたら、ある一定の読者に共感してもらえるかもしれない…。
メインテーマではないけど、面白い切り口かもしれない…など。
そんな時、一田さんはページの中で何割くらい、どのように盛り込むことにしていますか?

一田

確かに、「自分を消す」と言っても
私にしか書けない文章を書きたいものですよね。

私が、雑誌の文章に「自分」を出せるようになったのは、
ちょうど「暮らしのおへそ」を立ち上げる少し前です。
つまり、フリーライターになって、15年ぐらいたってから。
それまでは、ひたすら「黒子」になって
雑誌のテーマに沿った「記事」を書いておりました。

今でも、たとえば雑誌の「LEE」や、「天然生活」の本誌、
そのほかの一般的な女性誌の記事を書くときは、
ほとんど「自分」を出しません。

ただし、自分を出そうと思って出すのと、自然「出て」しまうのはちょっと違います。
あるお宅のインテリア取材記事を書くとき、どこにポイントを持ってくるか。
その視点には、取材者の個人的な視点が出るものと思います。
つまり「あ〜、ここに感動した」ということが出てくるのだと思います。
でも、それは、文章に直接「私が感動したこと」を書くのとは少し違います。
つまり「切り口」に自然に自分らしさが出るってことですね。

読者に伝えるのは、やっぱり「私が感動したポイント」では
ないのです。
雑誌をつくるときには、雑誌のテーマがあり、編集者の意図があり、
ページのテーマがあります。
それを理解して、読者との間に立つ。
それが、フリーライターです。

もし、「私が感動したこと」を伝えたいなら、
自分の本を書くとか、ブログを書くとか、
種類がちょっと違ってくるのだと思います。
エッセイストになる、っていうことですよね。
坂根さんが、やりたい仕事はなんなのか。
まずは、そこから考えた方がいいのかもしれません。

私の初めての著書「扉をあけて小さなギャラリー」の
原稿を書いているとき
「わあ、こんなに自分の思ったことを書いていいんだ。楽しいな〜」って
ワクワクしたことを、昨日のように思い出します。

でも、それより以前の15年間という年月の中で、
いろんな文章を書いてきたからこそ、
自分の文章が書けるようになったと思っています。

冷静にものごとを判断し分析できる目を育てながら
経験値をあげて、
そして自分の視点を確立していく……。
その中で文章が書けるようになってくるのかなと思います。

 

つづく


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