不定期更新でお届けしている「きときとノート」、第5回目を迎えました。
何を書こう?どう書こう?と悩みながらも、毎回楽しく書かせていただいています。
寄せていただいたコメントや感想など、大変ありがたく受け取っております。読んでくださっているみなさま、本当にありがとうございます。
この連載の原稿は一田さんに毎回チェックしていただいているのですが、「ここは流れがわかりにくいのでもうちょっと説明を加えてください」「もう少し具体例を入れると読者に伝わりやすくなると思います」などのアドバイスを受けながら、まるで“一人ライター塾”のように臨んでいます。
もっと伝わる文章を書けるようになりたいと思う一方で、「始めたばかりなんだから、いきなりできるわけがない」という思いも感じている今日この頃です。
一見すると、ネガティブな響きに感じられるこの言葉。いつもの私ならそこで終わっていたかもしれませんが、今回はちょっと違いました。
自分の文章にたくさんの改善点があって、その状況を「やるべきことがたくさんある」と捉えてしまうと、はあ…と気が滅入りそうになります。
でも、文章を少しでも良くするために「やれることがたくさんある」と視点を変えてみたら、「できない」という事実が、そのまま伸びしろに変わっていくように思えたのです。
ライター塾の現場でも、私への個人指導の中でも、一田さんはご自身のスキルを惜しみなく伝えてくださるのですが、「私だって今でも迷うんです。私も何度も失敗してきたんですよ〜」と笑いながらたくさんの経験談を話してくださいます。
30年間ライターをやってきた一田さんでも、まだ迷う。この事実を前に、「自分なんてまだまだで当然なんだ」と前向きな諦めがつきました。
いきなりできるわけがない、でも、だからこそやれることがある。「書く」という行為の奥深さ、果てしなさを思わずにはいられません。
以前、美術家の篠田桃紅(しのだ とうこう)さんのインタビュー番組を観ました。
墨で抽象画を描かれる篠田さんは、現在106歳(!)です。5歳の頃に初めて墨と筆に触れ、その後は独学で書を学び、創作活動を続けてこられました。
そんな篠田さんが、「毎日絵を描いていても、一筆ごとに迷う」とおっしゃっていたのです。
もう達観して、篠田さんにしか見えない何かが見えていて、それをただ描いているだけなのではと想像していたので、まさか「迷う」という言葉が出てくるとは思ってもいませんでした。
100歳を超えた人生の大先輩でも迷い続けていると知った衝撃は、今でも私の中に残っています。
私はずっと、あらゆることを最短で理解して、最速で覚えて、何も間違わずに進みたいと思って生きてきたように思います。
でも。篠田さんも、一田さんも、どんな分野のどんな人でも、みな同じように、迷い続けているのかもしれません。
迷うことは、当然のこと。そう思えたら、心がすーっと楽になっていきました。
「迷っていいのだ」の合言葉が、文章の書き方も、この先の人生の歩み方も、灯火となって道を照らしてくれるような気がしています。
(今回の写真は、先日出かけた埼玉県飯能市の「メッツァビレッジ」で撮りました。
鈴木マサルさんデザインの傘のアート、イッタラのプロデュースするカフェ、ともに期間限定だそうです。気になった方は、ぜひ足を運んでみてくださいね)