東京は、昨夜から大雨で、今朝もしとしと降っています。
昨日は、打ち合わせに来てくださった方が、「お隣さんで摘ませてもらった」という
小さな小さなさくらんぼを持って来てくださいました。
「こんな風に鈴なりになるんですよ」
と実がついたひと枝も、キッチンペーパーに大切に包んで持って来てくれました。
まるで宝石のように美しい実は、食べるとほんのりしたさくらんぼの味で美味しい!
そして畑で育てているというゼラニウムとローズマリーも。
畑で力強く育ったからか、すごく匂いが良くて、触るだけで部屋中に香ります。
自然の色や香りってすごいですね〜。
しばらく楽しみたいと思います。
さて!
本日は、ワタクシの誕生日であります。
5月3日憲法記念日生まれ。だから「憲子」と名付けられました。
ね、一度聞くと忘れられないでしょ!(笑)
昨夜は1日早く連れ合いが和食屋さんへ連れていってくれました。
数年前から、互いの誕生日は、予約を入れてシークレットで連れて行く、といいうのが習慣になっています。
ずっと昔、まだ若い頃。
知り合って数年たって、連れ合いが
「もう、誕生日がめでたいっていう歳でもないし、お祝いなんていらないよね?」と言い出しました。
私は、猛烈に怒りまくったのを覚えています。
「年齢が一つずつ増えることは、確かにそんなに嬉しくないかもしれない。
でも、誕生日っていうのは、歳が増えることをお祝いするんじゃない!
この世に生まれて来てくれてありがとう、ってお祝いするんじゃないのお〜〜〜」って。
それで、私は勝手に連れ合いの誕生日ご馳走を作ったり、
小さなホールのケーキを買って、ろうそくを立てて無理やり「フ〜ッ」と消させたり。
「もう、そんなにいいよ」と言っていたけれど、
やっぱりろうそくをフ〜ッてするときは、それなりに嬉しそうだったよな。ふふ。
そんな時期を経て、今は大げさなことはしないけれど、
ちょっと内緒にお店を探して予約をして、美味しいものを食べに行く、という誕生日に落ち着きました。
私が、誕生日を大事にしたいと思うようになったのは、
実家を出てから。
幼い頃から必ず誕生日というと、家族でお祝いをしてきた思い出は、
宝物のように大切なんだと実感するようになりました。
父や母の誕生日に、妹とお小遣いをはたいて、バラの花を買いに行ったよなあとか、
母がケーキを焼いてくれたよなあとか。
記念日の思い出は、大切に育ててもらったという記憶でもあるのだと思います。
きっと今日の夜は母が電話をくれると思います。
年金生活になった両親とは、数年前からプレゼントのやり取りはやめようね、と約束しました。
いつまで、誕生日に電話で話せるのかな……と思うと涙が出そうになります。
50歳を過ぎて、誕生日は両親への感謝の日になりました。