「何もしないのに、何かを感じるってことじゃない?」 李相日監督の言葉にぐるぐる考えを巡らせて

今日は白い彼岸花が咲いているのを見つけました。
すとんと秋になりましたね〜。
秋分の日、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

昨日は、来週29日で一旦お休みになる「コロモチャヤ」さんへ。
シャインマスカットのケーキ、おいしかったなあ〜。
こんなにたくさんカフェがあるのに、
「すっごくおいしいケーキ」が食べられるお店って少ないなあといつも思います。

中臣美香さんが作るケーキは、
きっと素材を吟味して、実直に、ご自身が本当においしいものを作ろうとして
生まれたものなんだろうなあ。
その混じり気のないピュアさが、
ケーキのおいしさになっている気がします。
季節ごとのこの味が、味わえなくなると思うと寂しい……。

さて……。
先日NHKの「スイッチインタビュー」を見ました。
2人のゲストが交代で、相手に質問をする、
というこの対談番組が大好きです。

今回の2人は妻夫木聡さんと、あの国宝の監督、李相日さん。
「いい芝居ってなんなのでしょう?」
本音で質問する妻夫木さんの姿が印象的でした。
李さんが答えたのは……。

「何もしないのに、何かを感じるってことじゃない?」

「国宝」でも、李監督が描きたかったのは、
歌舞伎の世界というよりは、2人の若者が変わっていく物語だったと
インタビューで応えていらしたけれど、
李監督が俳優に求めるものは、
「演じる」ことではなく、
彼ら、彼女らの中から、知らず知らずのうちに染み出してしまうもの……
であるよう。

そんな李監督がよく使う手法が「エチュード」というものだそう。
これは、ご飯を食べるシーンがあったとしたら、
カメラが回る前に、演者がそこに座って、ただただご飯を食べる、
という時間を過ごすということ。

河瀬直美さんにインタビューをさせていただいたときにも、このことをおっしゃっていて、
河瀬組では、撮影が始まる何日も前から
出演者がそこに集まって、一緒に暮らし、
畑を耕し、ご飯を食べて、寝て……と時を過ごすのだとか。

「自分に染み込ませて、長いプロセスがあって、その瞬間に出てくるもの」
が大事だと李さん。

たとえば、何かを語ろうとして、でも言葉に詰まってしまったとき、
もうすでに、何を語るかは「目に出ている」のだと言います。

「そこには、こうだろうな、という余白がいっぱいある。
引き込まれるってそういうこと」

という言葉に、なるほど〜と思いました。

「こう演じてやろう」と意図するのではなく、
「その場」に居ることで、感じたもの、体から入ってきたものが、
自然に滲み出る……。
そして、
「意図」がないところには、「余白」がある。

このことは、大きな発見でした。

誰かに伝えよう、何かをしてあげよう、と自分の強い思いがありすぎると、
それを受け取る相手にとっては、自分をそこに置くスペースがなくなってしまいます。

何もせず、ただそこに居るのに、何かを感じさせる……。
そんな存在になれば、
横にいる人は、そこに自分を入れる「余白」を見つけて、
ぐいっと引き込まれる……
ということなのかなあ。

このことは、お芝居の世界だけでなく、
私たちの生きる場面のすべてに共通なんじゃないかと考えました。

誰かのために何かをしてあげようと思うとき、
仕事で企画を立てて、何かを始めようとするとき、
ビジネスで、いい商品を見つけて販売しようとするとき、
エッセイを書いて、本を出版しようとするとき。

そこに「自分の意図」しか存在しないと、
受け取る人が受け取れなくなる……。

「何もしないのに、何かを感じるってことじゃない?」

という李監督の言葉は、
行動の始点となる自分の思いにフォーカスするってことなのかなあ。

「何もしないのに、何かを感じる」
そんな人になるためには、どうしたらいいんだろう?

そんな思いが今ぐるぐると体の中を回っています。
それは、私が今まで知っている「何かの目指し方」とはまったく違う、
何か新しい動き方のような気がして、
これから少しずつ、その意味を考え続けたいなあと思っています。

 

 

みなさま、今日もいい1日を


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