日に日に増える東京の感染者数にドキドキしながら、
おへその取材も終盤を迎えています。
先日は、とある憧れの方にインタビュー。
あまりに素晴らしくて、帰りの電車の中で放心状態。
そんな自分の気持ちを写して置きたくて、もうすっかり暮れてしまった車窓を
パチリと撮りました。
ああ、私はこうやって聞かせていただいたことを
ちゃんと書けるのだろうか……と思うと、
出会った方が素晴らしければ素晴らしいほど、絶望的な気持ちになります。
このすべてを書くなんてとても無理……と思えてくるから。
限られた時間の中で、その人のすべてを理解しようなんて不可能です。
限られた文字数の中で、聞かせていただいたその人の人生すべてを
綴ることはできません。
でも、なんとか、この感動の一番いいところを切り取って
読んでくださる方のところへ届けたい……。
そのために「書く」という苦しみがこの後待っています。
インタンビューで録音した音声を
文字起こししてもらったものを、読み返しながら
やっぱりお話が素晴らしくて、泣けてきました。
ああ、なんて幸せな仕事なんだろうと感謝の気持ちがいっぱい!
でも、同時にますます「書けるかな?」と絶望感にさいなまれます。
たぶん、私はこの段階で、ものすご〜く感動したんだけれど、
その感動の中身が何なのか、さっぱりわかっていないのだと思います。
私は、あの人の話のどこがそんなに素晴らしいと感じ
何にあんなに心が震え、
それは、いったいどういうことだったんだろう?
「書く」ということで、自分の中を整理して
あの帰り道に撮った車窓の意味を、自分の中で見つけ出す……。
自分の力に絶望しながらも、
その作業を繰り返すことで、私は「感動しっぱなし」ではなく、
そこから、私の心を動かした粒々を拾い出して、
その色や形を確かめるんだろうなあと思います。
水の中に散らばったままの粒々は、やがて底に沈んで見えなくなってしまうけれど、
ちゃんとすくいあげて、乾かして、並べたら
箱にしまって保存しておくことができます。
拙い私の力では、とりこぼしてしまう粒もいっぱいあるのでしょうが、
そうやって、一生懸命拾い上げては、並べて、乾かして……。
淡々とそれを繰り返すしか、できることはないんだよなあと思います。
私は、ものすご〜く忘れっぽくて。
本を読んでも、あんなに感動したはずなのに、
1年も経つと、その内容をすっかり忘れてしまったりします。
そんなザルのような心を持つ私が、少しでも与えてもらった出会いを
心に留めておけるように、神様が「書く」という仕事をプレゼントして
くださったのかなあと思います。
もしかして、流れる時間に風化されないように、
人は、感動したら音楽を奏でたり、絵を書いたり、文章を綴ったり、
子供にお話して聴かせたり、友達と語り合ったりするのかもしれません。
そうやって、誰かに伝えることが、感動が流れ去らないための「お風呂の栓」のような
役目を果たすのかも。
みなさんは、どんな「栓」を持っていますか?
さあ、原稿がんばろ!
今日もいい1日を!