青春プレイバック パート2 大反対を押し切って結婚!

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実家でのお正月。
母は、お正月なのに朝早くからクルクルと家中を動き回って掃除をしています。
な〜んにもしなくても、家中が整い、食卓に座ればご飯が出てくる。
娘だった頃は当たり前だったこのことに、ありがたいなあと手を合わせられる
ようになったのも、大人になったからこそだと思います。

 

さて!
青春プレイバックパート2です。

OL時代、初めて友人に連れて行ってもらった白馬の山で
スキー初心者だった私が入ったスキースクールで、
先生をしていたのが元の夫でした。
彼は、元プロスキーヤーで、当時は引退し東京で広告代理店兼編集プロダクションを
経営していました。
時折、人が足らなくなると週末だけスキーの先生をしていたというわけ。

私は、サラリーマンではない人に出会ったのがほぼ初めてでした。
自分が好きなことを仕事にし、全てのリスクを背負って仕事をしている姿に
わあ、すごいなあと憧れました。
そして、親の大反対を押し切って結婚することになったのです。

両親からすれば、不安定極まりない仕事で、しかもひとまわり年上な人との結婚なんて
許せるわけがなかったのでしょう。
でも、私は自分自身がOLとしての仕事が「これでいいのか?」と思っていたので
全く真逆な世界に生きる人に惹かれたのだと思います。

当然結婚式はなし。
それでも母は心配して、最低限の食器棚とか、食器とか鍋や調理道具などを
選ぶために黙ってついてきてくれました。
父との会話はなし。
いよいよ今日上京という日、友達と母と祖母が新大阪の駅まで送りにきてくれました。
新幹線に乗り込もうとすると、母が泣き出しました。
私の母は強い人で、子供の頃から泣いた顔は父方の祖母がなくなったときだけ……。
そんな母が泣いている姿を見て、私はびっくりしたのでした。
初めて、自分がやろうとしていることがどういう意味を持つのか、わかった……という感じ。
なんとも親不孝な娘です。

 

上京後から今まで、私を支えてくれたのは、あの時の母の涙だと思っています。
大事に育てた娘を、母はあんな思いで手放した。
そうまでして私は、自分の道を選んだ。
だから、どんな辛いことがあっても「この道は私が選んだ道」と自分に言い聞かせて
乗り越えてきた気がします。

こうして上京した私を待っていたのが「編集」という仕事でした。
この続きはまた明日!

 

 

みなさま、いい1日を。


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