いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす。

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「おへそ展」が終わり、ようやくざわざわしていた心がちょっと落ち着いて、
仕事に集中したり、
ちょっと一休みして、いただいたクッキーをつまんだり。
お祭りもいいけれど、穏やかな日常もやっぱりいいなあと感じています。

みなさま、いかがおすごしでしょうか?

まだまだ暑い日が続くけれど、少し秋の気配を感じるようになると、
無性に本が読みたくなります。
最近おもしろかったのは、これ。

 

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内田樹さんは、我が母校の教授でした。
内田ゼミには、学内でも目立つ美しい人が集まって、華やかだったことを思い出します。
私は、それを横目で見ながら、地味な国文のゼミに通っておりました。

さて、この本、内田樹さんの半生記です。
面白かったなあ〜。

私が一番驚いたのは、
「決断とか選択ということはできるだけしないほうがいいと思います」
という一文。

内田さんが合気道の道場を開く武道家である、ということはよく知られていますが、
武道の目指すところは

「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」
ためなのだそうです。

これについて、こんなふうに書かれています。

でも、それは自分の「いるべきとき」「いるべきところ」「なすべきこと」は何だろうと
きょろきょろすることではありません。
そこが難しい。
それは自分で選ぶものではないからです。
流れに任せて、ご縁をたどって生きていたら、気がついたら「いるべきところ」にいて、
適切な機会に過たず「なすべきこと」を果たしている。
そのことに事後的に気がつく。
武道をしっかり修行していると、そのような順逆の転倒が起きる。
必要はものは、探さなくても目の前にある。

この箇所を読んだ時、なるほど〜!と深く頷いたのでした。
内田さんは、39歳で離婚されてから、娘さんと2人の「父子家庭」で暮してこられました。
その時決めたことがあったそう。
それが「仕事で成功する」ことをもう求めない、ということ。
それまでは、研究者として成果を上げて、学問の世界で名前を残したいという欲
があったのに……。

でも、朝晩きちんとご飯を作って、家をきれいに掃除して洗濯をして……。
家事育児が終わって少しでも時間がのこっていたら、それは「贈り物」としてありがたく受け取る。
その「贈り物としての余暇」に本を読んで、翻訳をして、論文を書く。

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この本を読んでいると、まさに内田さんが「いきあたりばったり」で
何も選ばず、生きてこられたことがわかります。
でも、最後にはちゃんと「いるべきところ」に立っている……。

それをこんな風にも書いていらっしゃいます。

ふつうに自然な流れに従って道を歩いていたら、「どちらに行こうか」と悩むということは
起きません。
日当たりがよいとか、景色がいいとか、風の通りがいいとか、
休むに手頃な木陰があるとか、そういう身体的な「気分の良さ」を基準に進む道を選ぶ人は
そもそも「迷う」ということがありません。

さらに、この言葉に衝撃を受けました。

決断を下さなければいけない状況に立ち至ったというのは、いま悩むべき「問題」ではなくて、
実はこれまでしてきたことの「答え」なのです。
中略
決断や選択はしないに越したことはない。
ですから、「決断したり、選択したりすることを一生しないで済むように生きる」
というのが武道家としての自戒になるわけです。

何かが違う……
と感じ始めることがあります。
「こっち」じゃなくて、「あっち」なのかな?と悩んだり、迷ったり。
でも、内田流に言えば、
どっちに行くかを決めるのではなく、
気持ちのいい方向へ歩いていけば、自然に「いくべき場所」へたどり着ける……。
無理してぐいっと舵を取るよりも、
木の実が熟して、ポトリと落ちる時期を待てばいい……。

そう考えると、少し生きることがラクになる気がします。
私は武道はしないけれど、
吹く風や、日の光や、周りの景色など、
今の私に気持ちがいいものを、ピピッと感じる自分でいたいな、と思いました。

今までと、考える回路がくるりと逆転する。
だから、読書は楽しんだよな〜と
本をパタリと閉じるときにいつも思います。

みなさま、いい一日を。

 


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