
がんサポートナースとして働き、地域おこし協力隊として、
三重県南牟婁郡紀宝町で健康相談窓口を開設した沼澤幸子さんにお話を伺っています。
第一話では、看護師時代にバーンアウトを経験したのを機に「がんカフェ」へ。
そこで聞いた言葉によって、病院の仕事には戻らず
起業して、個別に患者さんに寄り添うシステムを立ち上げたお話を伺いました。
スタンドFMで「音声配信で人生を豊かにするRADIO」を配信している沼澤さん。
あるとき、同じラジオで地域医療についての音声配信をしていた30代の医師からメッセージが届きました。
「何をしている人ですか?」と……。
そこで、沼澤さんは「がんサポートナース」の仕事のことを話しました。
その後学会で再会。
その医師も、沼澤さんより約1年前に紀宝町に移住し、
町立の診療所の医師として、地域医療に力を入れている方でした。
「今度研修センターのセンター長に任命されたから、シンポジウムを開きたい。
ついては、『小学生にもわかる命の話』をしてもらえませんか?」と頼まれたそう。
それが、沼澤さんの初めての紀宝町とのつながりになります。
これが2022年11月末のことでした。
すると……。
2023年になって、医師から再び連絡が。
「役場が地域おこし協力隊で、初めての医療職の募集を始めました。
しかも看護師で、心のケアに精通した看護師を集めたいという話なんです」
「え〜っと。ちょっと待ってください。それは、私に来いってことですか?」と
沼澤さんは流石に驚いたそうですが、。
そこで「だったら行きます」と決意したと言いますからすごい!
「よし行こうと決めてくれたのは、再婚した夫なんです。
移住をきっかけに入籍することにしました」と沼澤さん。

最初に沼澤さんが「お話会」を開いた、紀宝町の「kokoroカフェ」で
とは言っても、紀宝町でどんな仕事をしていくかは、すべて沼澤さん任せ……。
役場の「みらい健康課」の所属ではあるものの、役場内に席があるわけではありません。
まずは、リストアップしてもらった福祉介護施設やクリニック、そしてお店など、
いろいろなところに挨拶回りを。
「東京と比べて、病院が少ないので、がん治療だと伊勢や和歌山まで行かなければならない。
そういうところなので、『相談する』という文化がこの地域にはありませんでした。
だから、まずは役場近くの建物を借りて「がん相談窓口」を開くことにしました。
でも、半年開いて来られたのはたったの2人。
『がん相談窓口」に行ってしまったら『あの人、がんなの?』と知られてしまうのが
怖くて、行けないという人もいました。
自ら足を運んで、トントンと相談の窓口をノックするという方が少なかったのだと思います」
そんな時、町で複合拠点施設を作ることになりました。
昔の保育所を改装し、別の移住者の方が訪問看護ステーションなどを立ち上げる中、
ここで沼澤さんも「健康に関する相談窓口を担当してください」と依頼を受けたというわけです。
「なんの目的もない」というのが、沼澤さんが考えたこの相談窓口の特徴です。
つまり、何の話をしにきてもいい……。
がんや病気の相談でなくても、おしゃべりをしにきてくれればいい。
こうして入り口のサイズをひとまわり大きくしてみたら、
少しずつ町の人が訪ねてきてくれるようになりました。
「配偶者をなくされたという方も多くきてくださいますね。
相談じゃなくても、話していると、色んな想いや人生経験を話していただけて、
『話すってスッキリするんやね~』と笑顔で帰られます。
そんな場所が必要なんだなあと、
そして、私はこういう仕事をしたかったのだなあと思います」。
時には、自分から出かけて行くこともあるそう。
「今、継続的に行っているのは、奥さんの要介護度が高くなっている方。
お父さんの方が、どんどんつらくなってしまっているんです。
だから、ひたすらお父さんの話を聞きに行っています。
在宅医療の先生とお会いしたら『お父さん、落ち着いてきたわ』と言ってくれました」

今は、隣町の和歌山県新宮市の中高一貫校で保健室の先生もしているそう。
「ワークショップに2年連続で行ったのですが、保健室が大変な状況だと知りました。
ほとんどの場合、メンタルに問題を抱えた学生が多く、
それで『沼澤さんどうですか』と推薦されて引き受けることになりました。
子供達は『ちょっと具合が悪い』とやってきて、1時間休んでいきます。
週に1.5日ですが、半年以上勤務してみて、
学校の中に、心のケアを担当する看護師がいてもいいんじゃないかと感じています」
そんな仕事はすべて「初めて」のことばかり。
「ちゃんとできるかどうか、不安ではなかったですか?」
と聞いてみると‥‥。
「元々子どもと関わることも好きだったので、不安はなかったですね」と沼澤さん。
「人に興味を持っていないとこの仕事はできないなあと思いました。
看護師は傾聴が大事、というのはあるのですが、
それだけでは足らない、ということがこっちにきてわかってきました。
それが『対話』だったんです。
どのタイミングで私自身の話をすればいいのか……。
「実は私は……」という自己開示をしないと、
みなさん私のことをまったく知らないので対話ができません。
最初の15分は、質問も含めてちゃんと聴きます。
そのあと、自分のことも少しずつ話していくと、とても興味を持って聴いてくださる方が多いです
聞くだけ、話すだけではなく、互いの共通点を見つけると、すごく『つながった感』がするんです。
ここへ来て、対話力を磨いてもらっていることを実感しています」

移住定住サポートデスクのスタッフと
50代でまったく違う環境に移住し、今までやったことのない仕事を自分でつくる。
それは、ずいぶんな冒険のようにも思えます。
でも……。
もしかしたら、それは50代になったからできた冒険なのかも。
沼澤さんのこれまで歩いてこられたストーリーを聞いてきて、そう感じました。
若い頃からがむしゃらに働き、
その中で、得たもの、失ったものがだんだん見えてくる……。
それらをすべて一度手放したのが沼澤さんのすごいところ。
手放したからこそ、今手の中にあるものをぜ〜んぶ並べてみて、俯瞰して、観察することができたように思えます。
そして、そんな自分の引き出しの中にあるもので
何ができるかと考えた……。
そのときにあった視点が
「明日この世を去るとしても、
今日の花に水をあげなさい」
というものだったのかもしれません。
第一話で書いたように、
「今日の花に水をあげる」=自分以外のものに興味を持つ。
ということです。
人生後半に、再起動するときにこの「自分以外のもの」に目を向けてみる、
というのは、看護や福祉の世界に携わる人でない、
私のようないたって普通の人でも、
とても大切なことなのではないか……。
そう感じました。

沼澤さんには、忘れられない言葉があります。
緩和ケア病棟で働いていたときに、看護師長の女性からかけられた言葉。
「病室に入るとき、私はトントンとノックをするのと同時に扉を開けていました。
それは、忙しくて、少しでも早く仕事をしたかったからです。
でも、そこで叱られました。
『ノックは何のためにしているの?』って。
患者さんに何かを質問されると都合よく「先生に聞いてきます」と言っていました。
師長は、そんな私に『聞いてきます、じゃなくて、自分でできることがあるよね』と言われました。
『患者さんは、今本当に先生に聞いてきてほしいと思ったの?
その場に黙って座ってみたら?』って。
そこで私は、『そのまま部屋にいて、何をすればいいのか?』を考えること自体がケアだと教わったんです」
「今できることを自分で考える」
それが今、沼澤さんが紀宝町に移住してやってきた、まさにそのことです。
そして、自分で考えて見つけた「できること」が、「ただ聞く」ということでした。
「私が解決しなくても、安心して話せる環境と時間があれば、
誰でも、自ら考え、結論を導き出せる力があると信じています」
「がんサポートナース」の講座で伝えているのも同じです。
「本当は、こんな忙しさに追われる生活をやめたい、というナースが多いんです。
でも、お金は必要……。
だったら、『今』なにができるか……。
ちょっとずつ働く割合を変えることならできるんじゃないか?
働き口を1つに絞らなくても、今の時代やりようによっては、
何かを始めることができるんじゃないか、と伝えています。
何をするにも壁があります。
でも、壁を目の前にしたとき「諦める人」と「諦めない人」がいる。
コツコツと続けていれば、誰かに見つけてもらえるかもしれません。
目の前にあることをどうとらえるかによって、
自分が幸せかどうかを自分で決めることができます。
そして、私たちはそれを伝えていけると信じているんです」。
だったら、私が今できることは何だろう?
沼澤さんのお話を聞きながら、自然にそう考えていました。
そして、この紀宝町までやってきて、本当によかった、と思ったのでした。
この取材の前にzoomでお話は聞いていたけれど、
ここまで足を運び、「きほう健康ぷらざ」を見学し、沼澤さんの「健康相談窓口」の部屋でお話を聞かなかれば、
わからないこと、理解できなかったことがたくさんありました。
私は、直接困っている方の話を聞いたり、手助けしたりはできないかもしれないけれど、
今、沼澤さんに聞いたことを、書いて伝えることならできる。
そんな「今できること」を改めて、ちゃんと考えてみたいと思いました。

毎朝8時半。
沼澤さんは「健康相談窓口」の部屋へやってきます。
ご自身が読んだ本を図書館のように並べ、花を飾って、時にはおやつを用意して。
「天気に関わらず、毎朝、保健師や地域の方々と、みんなで3つの体操をしています。
ラジオ体操1、2と、うみがめビクスというこの地域ならではの体操です」と笑います。
17時15分まで仕事をし、残業はなし。
家に戻ると、「がんサポートナース」の仕事に取り掛かるそう。
紀宝町にやってきたのは56歳の時。
2年が経ち、今年58歳になりました。
任期はあと1年なのだとか。
東京から遠く離れた地で、こんな風に働くひとりの女性がいる。
そして、たったひとりの女性に救われる町の人がいる。
そんな沼澤さんの活動を知ることができたのは、
私にとって、大きな驚きと刺激になりました。
人がひとりでできることはほんのわずかです。
でも、ひとりが動けば、風が起こる……。
もし、私たちがほんの少しでも「今日咲く花に水をやる」時間をつくり、
「今できること」をひとりひとりが考えたら、
世の中は少しずつ変わっていくんじゃないか‥‥。
そんな可能性を信じたくなる取材でした。
沼澤さんの活動はこちら
撮影/伊東俊介