「きときとノート」は、私が日々の中で見つけた新鮮な驚きや喜びを、みなさんにお裾分けするような気持ちで綴らせていただいています。
一田さんのライフワークとも言うべき「暮らしのおへそ」。
私は1年前の26号から文字起こしをやらせていただいていますが、どの人のどんなインタビューでも、毎回のように心を動かされています。
思わず手が止まってしまうほど感動したり、時には大粒の涙をこぼしたりしながら、せっせとキーボードを叩いている日々です。
文字起こしとして関わる以前から、「こんなやり方もあるんだ〜」と暮らしに役立つ知恵を教えてもらったり、「そういう風に考えればいいんだ」と新しい視点をもらったり、おへそには、いつもたくさんのことを教えてもらっています。
今回は、私がおへそから学んだ心のあり方についてご紹介させていただきたいと思います。
27号に登場の「植松電機」代表取締役の植松努さん。
北海道の小さな町工場で、鉄くずなどをリサイクルするための機械を製造販売しながら、ロケット開発に取り組んでいる方です。
植松さんは、「失敗はダメじゃない。失敗はただのデータなんです」と言います。
何か困ったことがあったら、それをよく観察し、「だったらこうしてみたら?」と考え、これまで様々なピンチを切り抜けてきました。
インタビューでも、その日のロケット教室の参加者への講演会でも、優しく、力強く、一生懸命ご自身の思いを伝えようとする植松さんの姿に胸を打たれました。
心に響くお話は数え切れないほどありましたが、中でも、「どうせ無理」のお話が、今でも忘れられません。
幼い頃、自分が興味を持った飛行機やロケットのことを話しても、くだらないと笑われ、どうせ無理だと馬鹿にされ、とても辛い思いをした植松さん。
その経験から、「どうせ無理」という言葉は、人の可能性を奪う言葉だと痛感します。
そして、「どうせ無理」を言われた人は、自分より弱い人に「どうせ無理」を言い、また可能性を奪ってしまうという、悲しい仕組みに気がつきます。
この負の連鎖を断ち切りたいと願い、植松さんは全国の小中学校で講演会を続けています。
「どうせ無理」という言葉を聞いて、ドキッとしました。私自身、これまで何度となく自分に浴びせてきた言葉だったからです。
日常の中には、小さな失敗のシーンがたくさんあると思います。寝坊した、忘れ物をした、道を間違えた、余計なことを言ってしまった、予定通りに進まなかった…。
私の場合は、何か上手くいかないことがあると、その度に「何やってんの!ダメじゃん!もっとしっかりしないと!」って、いちいち自分にダメ出ししていたのです。
これは本当に小さな例ですが、この「自分の失敗を見張っている、もう一人の自分」の存在を、私は確かに感じていました。
見張りが強ければ強いほど、そこからはみ出さないように、自分に厳しくなっていきます。
こんな風に失敗が許されない状況で、何か新しいことに挑戦するというのは、とても難しいことです。
そして、小さな失敗に怯えて「どうせ私には無理」と身動きが取れない中、どんどん動き出していく周りの人たちが許せなくて、「あなたもどうせ無理だよ」「そんなことやったって成功するはずがない」という感情を抱いてしまいます。
植松さんが言っていた「負の連鎖」は、私の中でも起きていることでした。
私は、動き出せる人たちを、ずっとうらやましく思っていました。自分もそうなりたくて、そっちの世界を見てみたかった。
そのためには、ほとんど無意識に自分へ浴びせていた、数々の否定的な言葉を変える必要がありました。自分で自分の自信を奪っている以上、ブレーキをかけ続けてしまう状況は変わらないからです。
自分を見張るのをやめて、失敗しても「しょうがない、ドンマイ!次に生かそう」と自分を励ましていきました。見張りの声は、誰も止めてくれません。止められるのは、自分だけです。
そうやって自分を励ましていく中で、「失敗したくて失敗する人なんていないんだ」と自分を許せるようになったら、他人への見方も変わっていました。
自分を励まし、小さな勇気を出して行動するようになると、何かに挑戦する人を応援したくなります。
「きっとあの人も、精一杯の勇気を振り絞ったんだ!」と、自分の勇気と同じだけ、相手の勇気も尊重したいと思うようになりました。
「どうせ無理」の眼鏡が取れたことで、ネガティブな思考で心が消耗することがぐんと減り、自分のやりたいことにまっすぐエネルギーを注げる、良い循環が生まれたように感じています。
自分にも、相手にも、「どうせ無理」を言わない心でいることは、植松さんから教わった、私の新しいおへそです。
私は、一田さんの「おへそには、明日を変える力がある」という言葉が大好きです。
毎日の小さな習慣が、その人の日常を支える大きな力を持っていて、その誰かの何気ない習慣や一言が、誰かの明日を変えるきっかけになるかもしれない。
私がおへそを読み続ける喜びや楽しさは、ここにあるのかもしれません。