なんと多い月で月収が夫の4倍に! でも何かが違った……。

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愛媛県松山市で「せいかつ編集室」というウェブサイトを運営され、
そこから生まれたビジネスを手がけている、大木春菜さんにお話を伺っています。

第一話では、勤めていたウェブ制作会社の危機に直面し、
初めて自ら営業に出かけて、大きな手応えを感じたお話を伺いました。

その後、長男の台(ウテナ)くんの出産を機に退社。
独立して、「せいかつ編集室」を立ち上げたという大木さん。
出産予定日まで大きなお腹を抱えて働いていたというから驚きです。
さらに、出産後すぐに仕事を再開!
当時は、チラシやパンフレットの制作がメイン。
今も続けているSNSの代理発信などは、この頃から始めていたそうです。

さらには愛媛県の地方紙の仕事も手がけていたので、
母親になりたてだというのに、それはそれは忙しかったのだとか。
「出産したことで、仕事がなくなるのが怖かったのかもしれません」
と大木さん。なんと、ご主人の4倍ぐらいの月収を得たこともあったのだとか!

大木さん:
「収入は増えたんですが、いつもカリカリしていました。
仕事に出かけようとしたら子供が風邪を引いたり、入院をしたり。
そのころは、夫も会社員で帰りが遅い…….
そのうちに、子供に湿疹が出たりと、歪みが出てきました。
先輩ママに、『お母さんが子供の方を見ていないからよ』と言われて……。
そこから、ちゃんと子供と向き合うことを意識したら、
本当に湿疹が治ったんです!

東京に出張に出かけることもあったんですが、
せっかく東京に来ているのに、愛媛にもあるスターバックスに入って
仕事をしている自分が、なんだかおかしいなと感じて……。
東京の満員電車の中で具合が悪くなったこともあり、
何かを見直さないとだめだ、と思い始めましたね」。

 

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そして、大木さんの仕事が忙しくなればなるほど夫婦仲も険悪に…….

大木さん:
「台が生まれた時から夫婦のすれ違いが始まって、2年間ぐらいは仲が悪かったかなあ(笑)
仕事も子育ても、どうして私ばっかり……とモヤモヤしていました。
それで、自分の気持ちをノートに書いてみたり、瞑想をしてみたり。
自分を見つめ直してみたら、だんだん
『人に期待するのはやめよう!私が変わろう!』って思えるようになったんです。

夫もいろいろ考えていてくれたみたいで、ある日『仕事を辞める』と言い出しました。
実は、前々から仕事を辞めたらどうか、という話はしていたんです。
彼の職場はすごく忙しくて、無理ばかりして一年中体調が悪くて……。
それで寝込んじゃうと、『こっちの方が寝たいわ!』と私がイライラして(笑)。
でも、同時に仕事を辞めてしまって、彼の人生がつまらなくなったら困る、とも考えていました。
最初夫は転職するつもりで、私も一緒に会社をやるつもりなんて微塵もなかったんです。
彼は私が独立した始めから『僕は手堅く稼ぐから、自由にしていいよ』って言ってくれていました。
妻の方が収入が高いという嫉妬は一切ない人なので。
ただ、不安定だから『僕がコンスタントに稼ぐね』というありがたい存在でした」。

ところが……。
ご主人の壮一郎さんは、40歳を超えていたこともあり、再就職先を探しても、
なかなか見つからなかったそう。
そんな時に、大木さんがふと思いついたのが、
「せいかつ編集室」へ入社してもらう、ということでした。

大木さん:
「彼には人を育てる力や、マネジメント力があるんです。
それでカフェに連れ出して『せいかつ編集室』に入りませんか?って
得意のプレゼンをしました(笑)。
私はこういうビジョンを持っている。それにはあなたが必要だ!って(笑)
運営しているウェブマガジン『せいかつクリエイト』で、一記事を作るといくらになるかを開示して、
これを何本書いたら、彼が今までもらっていた給料分は稼げるんじゃないか、
という計算をしました。
あとはビジョンとして、これからは媒体の件数を稼ぐ仕事ではなくて、
お店のブランディングを仕事にしていきたい、という思いも伝えましたね。
大きな企画を、1企業に対して1本10万円で売ったら、
3本ぐらい受けおけば、やっていけるよねって」。

 

今回、お話を伺うに当たって、大木さんはビジネスの単価も
きちんと公開してくださいました。
「そこは語りたくない」という人が多い中、きちんと金額を開示してくださったことで、
小さく始めるビジネスの規模感がわかり、
これから自分が「やりたいこと」を仕事に、と考える人には、
大いに参考になることと思います。
そんなご夫妻のおおらかさ、太っ腹ぶり、そして「自分たちだけでなく、
みんなで幸せになりたい」という思いに触れたような気がしました。

 

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その後、大木さんは第二子の雨李(アマリ)ちゃんを出産。
当時のことを、壮一郎さんは、こう語ってくれました。

壮一郎さん:
「仕事をはっきりやめようと思ったのは、下の子が生まれてからです。
生まれつき、心臓の病気と難聴があって……。
うちの奥さんは、天職で仕事をしているし、
僕が以前のままの時間体系で働き続けると、家族がやばいぞ!と思ったんですよね。
もし、『せいかつ編集室』に入ったら、その収入だけでやっていけるのかという
その判断も必要でした。
売り上げや貯金を見て、波はあるけれど、毎月安定して収入を得られる仕組みを作れば、
なんとかやっていけるんじゃないかと考えました。
最悪な場合も、貯金を切り崩したり、僕がアルバイトをすれば
娘に手がかかる5年間ぐらいは、乗り越えられるだろうと」

仕事を辞めるにあたって、未練はなかったのですか?と聞いてみました。
壮一郎さん:
「ないと言ったら嘘になりますが、
出版社で10年間楽しく仕事をさせてもらえたので……。
妻と自分、どっちが辞めるのいがいいかと比べた時、
自分が辞めた方がうまくいくんじゃないかって思ったんです。
だから、僕は彼女のために『時間を作る人』になろうと考えました」

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なんとなんと!
自分の仕事1本で家族を養うと決心した大木さんもすごいけれど、
仕事を辞め、妻のサポートをすることを決めた壮一郎さんもすごい!
しかも、お二人と話していると、
それぞれが決して無理することなく、ストンと自分の役割を引き受けられているのです。
それぞれが、相手が「できないこと」にフォーカスして、そこを責めるのではなく、
自分が「得意なこと」をやれば、
二つのピースがカチッとはまってうまく転がりだす……。
お話を聞きながら、そんなことを考えました。

 

そして、お二人の姿が、夫婦ってこういう形もアリなんだ、
と教えてくださった気がします。

この夫婦の在り方こそ、大木さんのビジネスが大きく育つ為の
豊潤な土台となったよう。

次回はいよいよ、大木さんの今のビジネスとお金の話について伺います。

 

撮影/重岡真美


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