共感という宝物

東京に戻ったら、いきなり庭の山芍薬がぽっかりと咲いていました。
わお〜!
つぼみが出ていたのは気づいていたのですが、
毎年それがだんだん膨らんで、
ピンポン玉みたいにまんまるになって、
いつ咲くか、いつ咲くかと、ワクワク待っているのに、
今年は、青いつぼみから、気づけばいきなり咲いちゃった!
私がきっと、バタバタして見過ごしてしまったのだと思います。
あ〜、残念だったなあ〜。
せめてこれから毎日顔を覗きに庭に出ようと思います。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
先日父のことをアップしたら、
たくさんの方にコメントをいただき、ありがとうございました。

実は……。
詳細に書くと、あの父が見送ってくれたのは、
私が取材に出かける朝でした。
その日もう一度実家に戻り、再び母のご飯を食べて、
翌朝、京都での取材のために早朝家を出ました。

父は「寝てていいから」というのに
「俺がタクシーを呼んでやる」と
パジャマのままリビングをウロウロ。
母は、毎回のことながら、マンションの1階まで送ってくれました。

夙川の風景

タクシーの中から「バイバ〜イ」と姿が見えなくなるまで手を振って
ふと前を向いて座席に落ち着いた時、
運転手さんがふとこう言いました。

「こんなに大人になっても、見送ってくれはるんですねえ〜」って。

その一言を聞いて、急にポロリと涙がこぼれました。
まったく思ってもいなかったので、自分でも「えっ?」と驚いてしまいました。

年配の運転手さんの一言に、
その方にも、きっとお母様がいらして、
そのお母様とのいろいろな思い出を胸の中に持っていらっしゃるんだなあと感じたからなのかもしれません。

ああ、「共感」というのはこういうことなのか……
と深く思ったのでした。

手を振りながら、タクシーの窓の外でだんだん小さくなっていく母への想いと
同じ想いを抱える人がここにいる。
そして、「いいですねえ〜」と同じタクシーの中で心を重ねてくれることで、
こんなにも温かい気持ちになるなんて……。

直接、誰かに何かをしてあげなくても、
こうやって、自分の心にあるものと重ねて「共感」するだけで、
それを受け取った人は、
「ああ、同じ想いの人がここにいる」「同じ記憶を持った人がここにいる」
とひたひたと幸せな気持ちになれるんだなあ、と思ったのでした。

運転手さんとふたりで、
母が手を振っている姿を眺めた朝が、宝物のようなひとときになりました。

 

みなさま、今日もいい1日を。


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