いちだ&さかねの往復書簡

いちだ&さかねの往復書簡 No5

 

 

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坂根

「夢は言葉にすれば、実現したも同じ」

一田さんと、はじめてトークイベントでお会いした時に、
ライター未経験の私に、かけていただいた言葉を思い出していました。
一田さんのダメ出しは、毎回いただくたびに、
自分の文章力の未熟さに気付き、正直毎回かなり心にグサッときて
心の底まで落ち込んでいる自分がいるのですが(笑)、
でも、ダメ出しの言葉や、赤ペンでいただく言葉のふしぶしに
私の足りないところ、取材不足の所に気付いてほしい…ということだけではなく、
取材先の方の魅力を最大限引き出したい…、読者に届けたい…、という
一田さんの根底にある「やさしさ」をひしひしと感じているからこそ、
「絶対いつか成長します!」と思って、
今は本当におんぶに抱っこの状態で、お仕事をさせていただいています。

 

さて、次の質問です。

リードとキャッチの部分の「想像力」の部分で、
読んでくれる人の心を想像するという言葉がありました。

「みんなこんなこと困っているよな、こんなことが嬉しいって思うよな
読んでくれる人の心を想像してみないと、そこに響く言葉は選べないと思うのです。」

そこで気付いたのは、いつも私の考える文章がどうしても「主観」が入ってしまうのは、
この「みんな」の部分が自分寄りだからではないかということです。

たとえば、前回の「暮らしのまんなか」では
取材先の方が、フラワーコーディネーターでした。

せっかくなので「花のある暮らし」をテーマにページ構成を考えました。
そこで、どんなことを読者がこまっているんだろう…と考えた時に、

 

  • 花をどうやって活けたらいいか分からない。
  • どんな花器を選んだらいいのか分らない。
  • 花は人にプレゼントするもの。
  • 花を自分の暮らしのために購入するのは贅沢な気がする。
  • 花を長持ちさせるコツが知れたらうれしいんじゃないか?

 

という「自分」が想像した「みんながこまっていること。知ったらうれしいこと」が思い浮かびました。

 

でも、もしかしたら読者は、上記のことなんてこまっていないのかもしれない。
花のある暮らしが日常で、プロならではの、コツみたいなものが知りたいかもしれない…。
そんな、不安が自分にふつふつと沸いてくるのが分りました。
想像する「みんな」によって、キャッチやリード、本文の内容も違ってきてしまうと思うのです。

でも、あまりにも「みんな」の範囲を広げてしまうとページ全体が
ボヤけてしまう気がして……。

そこで質問なのですが、
一田さんは、いつも「みんながこまっていること、うれしいこと」を
想像する時、どういう風に読者をイメージしているのでしょうか。

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坂根さん

 

確かに読者のみなさんがどう感じているか、
何を求めているかは、いちばん難しいところです。
私の想像だって、正解かどうかはわかりません。

 

だから、坂根さんの「花のある暮らし」に対する
想像は、おそらく読者の方々もきっと感じていることだったと思います。

坂根さんの今回の質問を読んで、
私はどうやっていつも読んでくれている人が何を望んでいるのかを
想像しているのだろうか?と改めて考えてみました。

そうして、なんとなく自分なりにわかったことは
そこには2層になった「想像」があるってこと。

ひとつは、ノウハウに関する想像。

これは、坂根さんの書いてくれた、花の選び方だったり、生け方だったり、
長持ちのさせかただったり……。

 

もうひとつは、その奥にある読んでくれる人の暮らしや人生に関する想像……。
花を生けることで、その人の暮らしはどう変わるだろうか?
花のある暮らしの記事を読んでその人の毎日に、どんな変化があるのだろうか?
と想像する……。

これは、想像したってわかることではなく妄想に近いかもしれません。笑

 

日々忙しく家事や育児に駆け回っている人に
「花を1輪いけてみたら、暮らしが豊かになりますよ」といっても
残念ながら、なかなか心に響かないと思うのです。

だったら、どういう方向から、その人たちに「花のある暮らし」がいいよ、と
言えば伝わるのか……と想像してみる。
そこがとっても大事なのでは?と思っています。

 

だから、前回の坂根さんの取材で私が反応したのが、
「花は残らないのがいい」
という一言でした。

花は枯れて姿がなくなる。
だからいい。

この視点は、きっと読者の「花」に対する今までの意識を変えてくれる、と想像したというわけです。

 

1輪の花を買ってきて、部屋に生けても、それは、1週間もしたらなくなってしまう。
植物には命があって、それには限りがあって
今きれいに咲いているこのひとときは一瞬なんだ…。

花を買って帰ってきた人が、家で花瓶に花を差しながら
あの坂根さんのページの一言を
「そういえば……」って思い出してくれたら。

それによって、手にしている花への向き合い方がちょっとでも変わったら。

そう想像するとワクワクしませんか?

 

想像するときに、それが正解かどうか、と考えると、行き詰まっていきそうな気がします。
もし、どうしても正しい答えを導き出したいなら
それこそマーケットリサーチをするとか
そっちの方向へいった方がいい。

 

でも、文章を書くということは、絶対的な正解を書くということとは
ちょっと違うような気がします。

 

人間という不確かな存在だからこそ
「こうかな?」「こういうこともかるかな?」と揺れながら綴り
それが、自分のことさえよくわからない人間の誰かの心に届く。

そんな接点を探しながら書くということが、文章を書く楽しさのような気もします。

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