ライターズ・マルシェ

「子供がやりたいことを否定せず“素晴らしい”と言ってあげたい」難波美帆さん VOL.4

私がかつて早稲田大学で仕事をしていたときにご一緒し、
子育ての悩みなども聞いていただいた難波美帆さん。

難波さんは、大学一年生の娘さん(19歳)、高校二年生の息子さん(17歳)の二人のお母さんでもあります。

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前回は、早稲田大学の任期が満了したのをきっかけに、北海道に戻るまでのお話でした。

北海道に戻ってから、2013年1月から北海道大学の創生研究機構(URAステーション)という組織で、
研究者をサポートする仕事に就きます。

大学では、新規のプロジェクトに国からに何十億という予算がつくことがあります。
多くの場合、予算申請は「教員」の名前でなされますから、
予算を獲得した後の運用もプジェクト代表者の教員が行うことになります。
でも、教員はマネージメントのプロではありません。
プロジェクトのマネジメントのために「特任教員」として若手の研究者が雇われ、
運用に忙殺されることがあります。
ただし、その研究者もマネジメントのプロではなく、研究者としてのキャリアを積み重ねてきた人です。そこで、このような状況を変えるべく、
プロジェクトの企画・運営を担当する専門職が大学に新しく作られることとなりました。
それがリサーチ・アドミニストレーターです。

難波さんは、今までプロジェクト・マネジャーとしての経験、
大学での教育や研究の経験の両方を生かして、この新しい職種を大学に作り出し、
根付かせる仕事に就くことになりました。
努力の甲斐あって、着任して2年後、北海道大学のリサーチ・アドミニストレーターは「特任」ではなく、
正規雇用の職種として大学に根付くことになりました。

ところが難波さんは、その正規雇用職にはつかず、
2015年からは、また「特任」として学内の「新渡戸(にとべ)スクール」という
新しい教育プロジェクトの立ち上げに携わります。

新渡戸といえば、かつて5000円札の肖像として有名な新渡戸稲造のことです。
北海道大学の前身、札幌農学校の学生だったそうです。
新渡戸スクールでは、大学院生を対象としたグローバル人材を育成していました。
グローバル人材とは、専門知識を持ち異なる文化を理解して
海外で活躍できるレベルのコミュニケーション能力をもつ人のことです。

授業は英語で、発表も英語で行うという徹底ぶり。
先生からの一方通行の講義ではなく、
学生が中心になって討論やプレゼンテーションをする
「アクティブ・ラーニング」を行っています。
この新しい教育プログラムで難波さんは、グローバル人材とはどういう人材か、
どんな風に学生を教育すれば世界の課題を解決できる人間に近づけるのかを考えながらプログラムを作りました。

それは、授業という枠を超え、もっと大きな視点で企画したプランでした。
例えば、札幌の定山渓温泉での取り組みを参考に食料廃棄の問題を考えたり。
世界の問題を北海道からの視点から考えることを目指していたそう。

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私は、恥ずかしながら、大学の先生といえば、
生徒に授業を教えて研究したり、
ゼミを受け持つ程度のイメージしかなかったのですが、
大学ではこんなに時流に合わせたプログラムが立ち上がっていて、
大学の先生にはマネジメント能力も求められていると知り、驚きました。

どんな時にも、難波さんが手がけられる仕事は、前例がないものばかり。
コンセプトだけを与えられ、それを具体的にどうプランニングしていくかを託されたようです。

そして、次に声がかかったのが、現在教えている「グロービス経営大学院」でした。

今、難波先生はグロービス経営大学院で
「デザイン・シンキング」「ビジネス・プレゼンテーション」など複数の科目を教えています。

それにしても、「デザイン・シンキング」とは初めて聞く言葉です。
一体どういう意味なのでしょうか。

今の時代はモノやサービスが溢れています。
大学には世界の先端を行く研究があり、
日本の技術は今でも世界に誇れるものがたくさんあります。
でも、モノづくりやビジネスの現場で、
ユーザーの“必要”を本当に汲み取った「価値」ができているのか、
ユーザーの抱えている問題を解決できているのか、
という問題意識があったそうです。

民間企業と大学が共同で研究、商品開発を行う“産学連携”も
決してうまくいっているとは言えないそうです。

アメリカのコンサルタント会社が提唱して世界中に広がった「デザイン・シンキング」は、
ユーザーを観察したり話を聞いたりして、
まずユーザの課題やニーズに共感することを重視します。
そこを起点に試作品を作り、改良していきます。

どうやら、「デザイン・シンキング」とは、
いわゆる図画の“デザイン”ではなく、“問題を解決する思考“のよう。

「私がこのような考え方に最初に出会ったのは、北欧の国々でした。
優秀な専門家が頭の中で考えるのではなく、
当事者を巻き込んでのフラットなコミュニケーションで
問題を解決しているところに魅力を感じました。
私は、2011年の原発事故があった時に、
“お任せ民主主義はもうこりごりだ”と思ったんです。
あのときに、全国に原子力発電所が50基以上もあったことを初めて知りました。
そして専門家の中には『日本は原子力なしでは経済が立ち行かない』
などと言う人もいました。
そんなことになっていることに、恥ずかしながら無頓着だったのです。
やっぱり『大事なことは自分たちで決めていきたい。
専門家にお任せではダメなのだ』と思いました。
北欧では、デザイン・シンキングでも使われている手法を使って
皆でルールを考えていると聞きます。
代議制民主主義とも違う、
声の大きい人たちだけで決定しないで皆で知恵を出し合う、
新しい参加型のツールが必要だと思います。
デザイン・シンキングは自分たちで物事を決める、
新しいツールの一つになりうると考えています」。

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専門家だけが何かを決めるのではなく、
多様な人々が意思決定をし、フィットしなければ、すぐに修正する。

そんなデザイン・シンキングの考え方を教育に生かし、
日本の科学技術をもっと社会に活かせるように、
難波さんはグロービス経営大学院に移りました。

それからの2年間は、ご家族のいる北海道と東京をほぼ毎週往復する生活を送ったそうです。

「今度は子供達を連れて行くことは考えませんでした。
部活動がやりたくて入った高校で、
娘には最後まで目一杯楽しい学校生活を送ってほしかった。
特に3年生の時には、年間25回もあった合唱部のステージのほとんどを見に行き応援しました。
週に3回東京と札幌を往復したこともありました」。

お子さん達と十分にコミュニケーションがとれないと感じていた難波さんは、
朝、娘さんを学校に送るほんの10数分の時間が何より大事だと感じていたそうです。

「夏には緑、秋は錦、冬の白、
車のフロントウィンドーの前にそびえる春夏秋冬の円山
(札幌市にある山で周辺には公園が整備され市民の憩いの場になっている)
の美しさは私と娘と一緒に眺めた大事な思い出です」。

難波さんが娘さんに送った精一杯のエールは、きっと娘さんに届いていたことでしょう。

「心がけていたのは、子供を否定しないこと。
子供がいいと思っていること、やりたいと思っていることを、
“素晴らしい”と言ってあげたいんです」と難波さんは語ります。

そんな娘さんも昨年から東京に進学し一人暮らしを始めたとか。

「完全に親業は終わりではないけれど、
娘がスムーズに巣立ってしまったことが寂しくもあります。

卒業後も同じ部活だったお母さん達とお話しする機会がありますが、
娘が巣立った母親はみんな同じことを言います。
心に穴が空いたみただって。
お母さん達でOBB(おばば)会なんて言って、
時々集まって慰めあったりしてます(笑)」。

一方、息子さんも東京の学校に進学し、
難波さんも東京に転居しました。

難波さんのお仕事の分野にも関心をもち、
学校の外の勉強会などにも参加したりしているそうです。

「プログラミングに関心を持って、
ネット受講で独学したりもしていました。
仮想通貨にも関心があって
“フィンテックは社会を変えるんだ”とか、
勉強してきたことを話してくれたりします」。

お母さんが子供の関心を否定しないで、
“面白いね”と言ってあげることが、
お子さんたちの原動力になっているのだと思いました。

そして、一番身近にいる大人である親が、
自分の興味の幅をどんどん広げて生きているから、
お子さんたちも自分の世界を広げているのでしょう。

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難波さんのお話を伺って、
子供達が成長するにつれて、
親の役割も変わっていくことを実感しました。

親として子供に寄り添うことは、
幼少期だけでなく、形を変えてこれから先もずっと求められていくのかもしれません。

難波さんは、その時々で子供達に全力で向き合ってきました。

授乳期は3時間以上離れられなかったという、
お子さんたちの「今」の姿にとても励まされました。

難波さんは、出版社、フリーランスライター、
大学の教員、NPO、研究機関のリサーチ・アドミニストレーター、
そしてビジネスを教える世界へと、どんどん扉を開いていきました。

外側から見たら華麗な経歴ですが、
その時々の選択にきちんとした理由があり、
難波さんにしかできない仕事であったことを、
取材を通して初めて知りました。
そして、いざという時にどんな選択をするのかが、
その人の人生を形作っていくのだと思いました。

難波さんは、家族の生活を思い逡巡しながらも、
チャンスが巡ってきた時に思い切ってジャンプしました。

「チャンスの神様は前髪しかない」と言いますが、
その気になれば、どこからでも掴めるのかもしれません。

家族ができ、子供を産み育てていると、
自分の思い通りにならないことだって出てきます。
真面目なお母さんほど、仕事と子育ての狭間で悩んだりすることも。
でも、そんな時こそ、目の前のことに全力で取り組む。
経験を1つ1つ着実に積み上げていく。
きっと、それは思わぬ道に繋がっていくのかもしれない、
とお話を伺って思いました。

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(難波美帆さんのプロフィール)
東京大学農学部農業生物学科卒業後、講談社に入社。
その後、フリーランスライターとなり主に科学や医療の書籍や雑誌の編集・記事執筆を行う。

2005年より北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)特任准教授となり、
CoSTEPの立ち上げを任される。
その後、JST(科学技術振興機構)でプロジェクト・マネジメントを担当。

2010年より早稲田大学大学院政治学研究科准教授となり
「サイエンス・メディア・センター」の立ち上げ、プロジェクト・マネジメントを行う。

2013年より北海道大学URAステーション特任准教授となり
リサーチ・アドミニストレーターとして活躍後、
北海道大学高等教育推進機構大学院教育部特任准教授となり
「新渡戸(にとべ)スクール」の教育プロジェクトの立ち上げに携わる。

2016年よりグロービス経営大学院で「デザイン・シンキング」
「ビジネス・プレゼンテーション」などの教鞭をとっている。

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