ビジネスピープルからの贈り物

ブランド「662」を始動! パーマネントエイジ 林行雄さん 多佳子さん vol.3

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兵庫県西宮市で、セレクトショップ「パーマネントエイジ」を営む
林行雄さんと多佳子さんにビジネスのお話を伺っています。

vol1,vol2では、お店を開く前=「ビジネス以前」の行雄さんのお話を伺いました。

会社に勤めながら独立の準備を始めたお二人。
まずは何から手がけられたのでしょう?

行雄さん:
「自分たちで小さなロットでものを作るなら、やっぱりニットがいいかなと思ったので、
家庭用の編み機で製品を作ってみようという話になったんです。
糸を買って、内職のおばちゃんのところへ持って行って」

多佳子さん:
「彼も自分で勉強しなくてはと、編み物教室に通ったんですよ。
編み機を壊すぐらい『バネはどうなってるんだ?』とかあれこれ調べて……。
理屈でどういう仕組みになっているかを知りたかったんでしょうね。
おばちゃんが教えているような文化教室にも参加したり。
当初は私も一緒に通っていたんですが、三日坊主だからすぐやめちゃって(笑)」

なんとなんと! 男性が一人で編み物教室に通ったなんて!
ここでも、行雄さんの徹底的に学ぶ姿勢に驚かされました。

こうして編み物教室の先生と出会ったことがきっかけで、
新たなものづくりの拠点となる「アトリエハヤシ」を立ちあげました。
そうして、「662」というブランドを作ると同時にショップもオープン。
「662」は、当時住んでいた西宮の郵便番号だったのだとか。

行雄さん:
「結果的に4人で会社を始めたんですが、各々がもう一つ自分の仕事を持っていました。
それぞれが自分が食べる分くらいは自分で稼がないと、やりたいことができなかったんです。
ものを作って少しずつ売れて行くと、『じゃあ、誰から仕事辞める?』なんて相談してね(笑)
僕は、その頃色々な会社から頼まれて、プリントやテキスタイルの図案を書いていました。
本当は、そっち方面で専門家になったらいいっていうぐらい儲かったなあ〜(笑)。
30歳ぐらいで、毎月100万円ぐらいの収入があったので、
その分を新たな会社に回していました。
会社設立の為に、国民金融公庫でお金を借りようとしたら、
資産内容を教えてくださいっていうので、
自分の収入を正直に伝えたら
『あなた、一体何をしている人ですか?』って不審がられたりね(笑)」

多佳子さん:
「でも、ず〜っと同じ姿勢で一日中描いているので、あのまま続けていたら、
絶対に体を壊していたと思います」

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こうして作り始めたセーターは、「鎖以外の素材はすべて使ったかも」というぐらい
裂いた生地やら革やらを編み込んだ面白いものだったのだとか。

行雄さん:
「セレクトショップに売り込みに行く時には、
『こんなすごいセーター、売れないわけないやろ』
と自信満々でした。
アパレルをやりながら、小売店を経営する。
そういう形態の走りだったと思います。
張り切って展示会をやろう!って小売店さんに声をかけるんですけど、
並べるセーターは5〜6枚しかない。
どちらかというと「作品」のような商品でしたね。
1枚3〜5万円ぐらい。子供服も作って7万円とかね(笑)
でも、絶対買ってくれると思っていたんです。

実際によく売れました。
当時いろんなアパレルから、うちにきてくれっていうお誘いもいただきましたね。
忙しくて寝る暇もないほどだったけれど、楽しかったですねえ。
時代がよかったんですよ。
思ったことをやったら、必ず売れるし、話題にもなるし、
そうすると次のチャンスも生まれる。
僕は、今もそう思うんですが、
服って、売れなくちゃダメなんです。
どれだけいいものを作っても利益が出なければ、しんどいだけなので」

 

「服は売れなくちゃダメ」。
そんな行雄さんの言葉の重みを感じました。
行雄さんは、作って、売って、お客様が買って帰る。
そんな循環の中でこそ、生き生きと輝く洋服をずっと眺めてきた方なのだと思います。
だからこそ、今も「売れる」という価値観を大切に持ち続けられているよう。

 

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こうして順調にお店もブランドも滑り出し、
さらには、セレクトで商品を仕入れるようになりました。

行雄さん:
「世の中にはいいものがたくさんありますからね。
寝具やパジャマもオリジナルを作るだけでなく仕入れたり、
当時はシーツといえば白しかなかったから、色々な色に染めて、
枕カバーから全部揃えて、色別に並べたり」

この頃からヨーロッパにも頻繁に買い付けに出かけるようになりました。
こうして、まだセレクトショップという言葉もなかった時代、
自分たちのオリジナルとヨーロッパをはじめ国内外で買い付けたものなどを揃えた
あの伝説の店「イショナル」が誕生したというわけです。

その後、パリのセレクトショップ「エミスフェール」の販売代行をやってみないか?
という声をかけられ、芦屋と神戸でそのお店も手がけることになりました

そして、ふと気づくと、全部で12店舗ものお店を展開することに。
まさに、サクセスストーリーを駆け上がっていたというわけです。
でも……。

行雄さん:
「みんながおだててくれるから、調子にのって会社を大きくしていったら、
ふと気付いた時に、それを支えて行くだけの担保がなかったんです」

絶好調で躍進を続けていたのに、ふと足元を見たら、細いはしごが揺らぎかけていた……。
次回は、行雄さんの大きな決断について伺います。

 

写真/藤岡寿美

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