ライターズ・マルシェ

「何か学べば必ず次の仕事に生きる。何一つ無駄なことはない」難波美帆先生 Vol.2

「お母さんが、働くってどういうこと?」というテーマで
記事を書かせていただいています。

 

私がかつて早稲田大学で仕事をしていたときにご一緒し、
子育ての悩みなども聞いていただいた難波美帆先生にお話を伺っています。

 

大学一年生の娘さん(19歳)、高校二年生の息子さん(17歳)の
二人のお母さんの難波美帆先生。

前回は、第一子を出産後、
ご主人の協力も得ながらフリーランスのライターとして
活躍されるようになったお話でした。

今回は第二子出産後のお話について伺いました。

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第一子出産から2年後、二人目となる長男を出産した時は、
4月に保育所に入れたタイミングでサラリーマンに復帰したそう。
復帰した月は1ヶ月で体重が5キロも落ちてしまったとか。

「復帰した当時9ヶ月だった長男も哺乳瓶を拒否し、
離乳食もあまり食べてくれませんでした。
保育所で飲まず食わずで待っていたこともありました。
母乳は子供の命綱。保育所にお迎えに行ったらすぐに授乳していました。
とにかく、母乳を出すために沢山食べていた記憶があります」と語ります。

当時、お昼の定食でご飯のお代わりを2杯か3杯するのが普通だったので、
この頃一緒に働いていた方に会うと「大食いだったよね」と言われるほど。

最初はありとあらゆる仕事を引き受けながらも、
次第に科学・医療分野に強いライターとして
着実に実力を認められてきた難波先生。
それもそのはず、出版社の文芸部では「10年ぶりに配属された新人」として期待され、
多くの仕事を任されていたというのですから!

とはいっても、出版社を辞めて10年経った後でも、
辞めてよかったのか、ずっと迷いがあったそうです。
もしかしたら先生にとって、その迷いを断ち切ることが
この頃のがむしゃらな仕事の原動力だったのかもしれません。

そんな中、一緒に仕事をした同時通訳者に憧れて
通訳ガイドの資格を取るために勉強もしたことも。
「でも、実は通訳ガイドの合格率は、司法試験よりも低いと言われていました。
1年目に試験に落ちて、2年目には試験会場にすら行きませんでした(笑)。
ただ、英語の文法を徹底して勉強したおかげで、
のちに英語論文を添削するアドバイスをしたり、
仕事で海外に行く機会も増えたので、
仕事をしていて無駄になったことは一つもない、と思っています」。

 

私が、仕事をご一緒した時も、
常々、先生の英語のレベルの高さに内心舌を巻きましたが、
その英語のスキルは、この頃に仕事と子育てをしながら、
血が滲むような努力をして身につけたものだったのだ、と今回初めて知りました。

得意なことが一つあれば、
他のスキルと掛け合わせて何倍もの可能性が広がっていくことを、
教えていただいた気がします。

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ところが……。
さまざまなストレスとなる状況や出来事がきっかけで
抑うつ気分や不安などの症状が出る適応障害になってしまったそう。
適応障害は、ストレスの原因になる出来事がはっきりしているのが特徴。

先生の場合は、子育てと仕事の両立で日々心身とに負荷がかかった上に、

難しい仕事にあたったことで、フリーランスの仕事の不安定さを強く感じたことがきっかけだったそうです。

「フリーランスは仕事量が調整できるから、
子育てしながら続けやすいと考えていましたが、
一方で収入は仕事量とダイレクトに繋がっています。
夫が博士課程に進学している中で、ある難しい仕事を抱えた時に、
収入が安定せず、先の保証が全くないという状況に
不安を感じていたのかもしれません」。
当時を振り返って、難波先生はこう語ります。

医療ライターだったこともあり、先生ご自身は、
自分が適応障害だろうということを突き止めていました。

「一日1キロくらい泳いだり、友人の家でピアノを弾かせてもらったりしていました。
そして、不安の根本を解消するために仕事や働き方を見直そうと考えました」。

しばらく出版の仕事から離れて就職することを考え、
その間にNPOが主催する学部生向けの科学コミュニケーションの講座の
ティーチングアシスタント(学生さんのディスカッションや記事作成のサポート)をしたそうです。

ここにたまたま勉強に来ていた北海道大学の先生に誘われて、
北海道大学の大学教員になることに繋がったといいますから
その縁の不思議さを感じずにはおれません。
どんなに具合が悪くても、何かを求めて自分から動く。
それが次の扉を開けるきっかけを作ってくれたよう。

 

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突然飛び込んできたチャンス。
でも、フリーライターから大学という新たな環境に飛び込むには、
勇気も必要だったのではないでしょうか。

「出版の仕事で悩んでいたこともあったので、
研究しながら人に教えるのは、
これまで自分のしてきた仕事を客観的に見直して棚卸しする、
振り返りのいい機会になると思いました。

もう一つ、日本でサイエンスライターは、職業として成り立っていませんでした。
アメリカではサイエンスライターが大学の先生と共著で本を出せるくらいに、
社会の中でその働きを認められていますが、
日本ではゴーストライターにしかならない。

もし、自分が大学の先生になれば、自分の名前で本を書くことができます。
職業として世の中にサイエンスライターを認めてもらいたいという思いがありました」。

そして、当時大学院生だったご主人と、
二人のお子さんを連れて北海道に移住することを決意します。

次回はいよいよ移住後のお話を伺います。

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