ライターズ・マルシェ

「“お母さんになるんだから”と言われて」難波美帆さん Vol.1

「お母さんが、働くってどういうこと?」というテーマで
記事を書かせていただいています。

子育ては大仕事。
待ち望んでいた子供のはずなのに、辛くなってしまうのはなぜなのだろう?
働くことに悩んでしまうのは、どうして?

そんなことが知りたくて、輝きながら仕事をしているお母さんに
お話を聞いて回ることにしました。

第二回は、私がかつて早稲田大学で仕事をしていたときにご一緒し、
子育ての悩みなども聞いていただいた難波美帆先生にお話を伺いました。

 

MBA(経営学修士)という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
MBAは、経営・ビジネスに関する体系的な知識を
身につけた人に与えられる学位のことです。

経営のノウハウやビジネススキルを身につけたい
経営者、起業家、ビジネスパーソンから注目を浴びています。

海外ではMBAを取得できる大学院が数多くありますが、
日本でもMBAが取得できる大学院として、
今、人気なのが「グロービス経営大学院」です。

東京・大阪・名古屋・仙台・福岡・横浜・水戸の7箇所に全国展開し、
オンラインでもプログラムを提供しています。

そのグロービス経営大学院で教員をされている難波美帆先生。

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難波先生は、大学一年生の娘さん(19歳)、高校二年生の息子さん(17歳)の
二人のお母さんでもあります。

難波先生とは、私が北海道大学の社会人大学院生の時に出会いました。
当時、北海道大学には「科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)」
という教育プログラムが新設されたばかりでした。
“科学技術の専門家と市民との間を橋渡しする人材を養成する”というもの。
科学者と科学者ではない一般の人がやりとりをする
“科学コミュニケーション”のスキルを身につける場でした。

私は根っからの文系人間です。
そもそも、CoSTEPに興味を持ったのは、前の仕事がきっかけでした。
新卒で公務員になった私は、色々な仕事を経験しましたが、
結婚して退職する少し前に食品の流通の仕事に携わりました。

その時、生産者と消費者の距離が離れてきているのではなかろうかと感じたのです。
消費者に食品の情報をどうやって伝えたらいいだろうか。
生産者と消費者を繋げる仕組みができないだろうか。
そう思って、公務員を辞めた後に、
政策を研究するため公共政策大学院に進学したのでした。
このことが、後に食品ライターをすることに繋がっていきました。

公共政策大学院の社会人学生となった私は、
たまたま、CoSTEPに科学を文章で伝えるスキルを身につける
「サイエンスライティング」講座があると知り
“なんだか面白そう”と思って参加しました。

その時、教えて下さったのが難波先生でした。
難波先生は、仕事に目一杯の情熱を注ぐパワフルな女性。
授業にも全身全霊のエネルギーを注ぎ込み、
生徒の目の前で、先生同士で熱心な議論を繰り広げることもありました。

でも、実際に話してみると、違う一面もあって、
生徒やお子さんたちを深く思い遣ることのできる
温かいハートの持ち主なのです。

大学院を卒業してから数年後、
早稲田大学でお仕事をご一緒させていただいたこともありました。

その時も、難波先生は子育てや仕事のことなど、
誰にも言えない悩みを打ち明けることができる貴重な存在でした。

その時の印象が忘れられませんでした。

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難波先生はフリーライターから大学の先生になったという、
異色の経歴の持ち主です。

東京大学農学部を卒業後、講談社に入り文芸部で編集者を務めた後、
フリーランスに転身して科学や医療の書籍や雑誌の記事を書いていらっしゃったそうです。

その後、様々な大学で教鞭をとられたのち、今はグロービス経営大学院で教員をされています。

難波先生がどうして今の仕事をするようになったのか、
お子さんを2人育てながらどうやって仕事をしてきたのか、
興味津々だった私は、取材を申し込みました。

そもそも、フリーライターへと転身したきっかけは何だったのでしょう。

「新卒で講談社に入って3年が経った頃、
仕事を辞めて、前から住んでみたかったカナダに渡航したんです。
当時、夫は大学を出て就職2年目でしたが、“お前は日本に帰ってこない気がする”と言って、
夫も仕事を辞めてカナダについてきたんです」
と聞いてびっくり!

よくよくお話を聞いてみると、
難波先生は就職してすぐに結婚。
ご主人も出版社に就職して写真週刊誌の記者になりました。
お互い忙しく、お正月すら一緒に過ごせないような生活だったそうです。

「何かが違う」。
そんな思いがご夫妻に会社をやめる決意をさせたよう。
その思い切りの良さこそ、難波先生のエネルギーの源なのかもしれません。

お互いに結婚生活を大切にしたかったからこそ、できた決断だったよう。

「そこで1人目の子供を妊娠したのですが、切迫流産になってしまいました。
本当は、バンクーバの後にトロントかモントリオールに行くはずだったのに、
予定を切り上げて日本に帰ることにしました」と難波先生。

日本に帰ってきてからは、
ご主人には「次、何の仕事をするの?」と聞かれるのに
自分へは「これから何するの?」と誰にも聞かれなかったことに
違和感を持ったのだといいます。

「美帆ちゃんはお母さんになるんだから」と言われて、
次やることはお母さんになることなんだ、と
まるで周囲に押し付けられているような気持ちになってしまったとか。

その気持ちはよく分かります。

私も第一子を産んだ時は大学院生で、
学びたいことは山ほどあるのに、
まるで自分の人生の舞台から降りてしまったような感覚を味わっていましたから。

「私」であることは変わらないのに、周囲からの見方が変わってしまう。
でも、そんな風に感じてしまうこと自体、なんだか悪いような気がしていました。

ご主人は、難波先生の複雑な気持ちを見抜いていたよう。

いくつか再就職のお話もあったそうですが、
「お前が働けなくなる」と言って大学院で学び、
研究職を目指すことにしたそう。

夫婦は運命共同体です。
どうすればお互いより幸せに生きていけるのか、
相手の考えや立場を尊重しながら柔軟に形を変えていくという
ご主人の選択には、「なるほど、こういう生き方もあるのだ」
と感動しました。

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それから、フリーランスのライターとして出版の求人欄で仕事を探す日々だったとか。

「仕事はいくらでもありました。雇用はできなくても、記事を書く人は必要。
納期に原稿が上がればそれでいいんです。
でも、妊娠中は断られることはなかったのに、出産後に応募して面接に行くと、子供を理由に仕事を断わられたことがありました。
やっぱり、出産すると子供が第一優先になるからでしょうね」と当時を振り返ります。

そんな悔しいこともありつつ、
第一子の長女を出産したのは27歳の頃でした。
当時、転勤族だったご両親も岩手県から駆けつけてくれたそうです。

出産後もフリーライターとして、
7年間ジャンルを問わず様々な記事を書いたそう。
初めてのフリーの仕事は、雑誌のスターウォーズの映画評の翻訳だったとか!

「翻訳、編集、写真撮影、何でもやりました。
編集もできるライターは少なかったので、
重宝してもらえて仕事はいっぱいありました。
出身学部が理系だったこともあって、理系の仕事が来ることが多かったです。科学図書ブルーバックスの編集や、
患者向けのガンの雑誌を次々に3冊くらい立ち上げたこともあります。
フリーランスの時もあれば、契約社員の時もありました」と語ります。

ところが、困ったことに、出産後、長女は哺乳瓶を拒否して母乳しか飲まなかったそう!
授乳中は子供と3時間しか離れられません。
でも、取材先と自宅を往復していたら3時間以上かかってしまう。

さてどうしよう、と困った時に、助け舟を出してくれたのがご主人でした。

「当時、大学院生だった夫が取材先に同行し、
取材先のすぐ近くの喫茶店などで子供と待ってもらっていました。
取材が終わったらすぐに喫茶店に駆けつけて授乳していました」。

なんと協力的なご主人なのでしょう!

結婚すると、世間の思う夫や妻の「こうあるべき」という理想像に
自分を押し込めてしまいがちです。

夫婦で話し合って納得したことなら、
今お互いができることにベストを尽くす。

ご主人には、ただ妻を応援し支える懐の広さがあったのだと思います。

結局、長女が保育所に入れるまで、そんなやりくりが続きました。

授乳期の辛さはよく分かります。
短い時間しか子供と離れられない、となれば、
私なら取材を諦めたかもしれません。

それでも、ご主人のご協力もあって乗り切ることができました。
妻を尊重し支え続けたご主人をちょっと羨ましく思ってしまいました。

でも、一度も「辞めよう」とは思わなかったのが難波先生のすごいところ。

ご主人が大学院を卒業するまで、家計を支える根性がすわっていたのだと思います。

次回は「学ぶ」ということについて伺います。

 

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