連続投稿6日目 50代の誕生日に思う

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東京は、昨夜から大雨で、今朝もしとしと降っています。
昨日は、打ち合わせに来てくださった方が、「お隣さんで摘ませてもらった」という
小さな小さなさくらんぼを持って来てくださいました。
「こんな風に鈴なりになるんですよ」
と実がついたひと枝も、キッチンペーパーに大切に包んで持って来てくれました。
まるで宝石のように美しい実は、食べるとほんのりしたさくらんぼの味で美味しい!

そして畑で育てているというゼラニウムとローズマリーも。
畑で力強く育ったからか、すごく匂いが良くて、触るだけで部屋中に香ります。

自然の色や香りってすごいですね〜。
しばらく楽しみたいと思います。

さて!
本日は、ワタクシの誕生日であります。
5月3日憲法記念日生まれ。だから「憲子」と名付けられました。
ね、一度聞くと忘れられないでしょ!(笑)

昨夜は1日早く連れ合いが和食屋さんへ連れていってくれました。
数年前から、互いの誕生日は、予約を入れてシークレットで連れて行く、といいうのが習慣になっています。

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ずっと昔、まだ若い頃。
知り合って数年たって、連れ合いが
「もう、誕生日がめでたいっていう歳でもないし、お祝いなんていらないよね?」と言い出しました。

私は、猛烈に怒りまくったのを覚えています。
「年齢が一つずつ増えることは、確かにそんなに嬉しくないかもしれない。
でも、誕生日っていうのは、歳が増えることをお祝いするんじゃない!
この世に生まれて来てくれてありがとう、ってお祝いするんじゃないのお〜〜〜」って。

それで、私は勝手に連れ合いの誕生日ご馳走を作ったり、
小さなホールのケーキを買って、ろうそくを立てて無理やり「フ〜ッ」と消させたり。

「もう、そんなにいいよ」と言っていたけれど、
やっぱりろうそくをフ〜ッてするときは、それなりに嬉しそうだったよな。ふふ。

 

そんな時期を経て、今は大げさなことはしないけれど、
ちょっと内緒にお店を探して予約をして、美味しいものを食べに行く、という誕生日に落ち着きました。

私が、誕生日を大事にしたいと思うようになったのは、
実家を出てから。
幼い頃から必ず誕生日というと、家族でお祝いをしてきた思い出は、
宝物のように大切なんだと実感するようになりました。

父や母の誕生日に、妹とお小遣いをはたいて、バラの花を買いに行ったよなあとか、
母がケーキを焼いてくれたよなあとか。
記念日の思い出は、大切に育ててもらったという記憶でもあるのだと思います。

きっと今日の夜は母が電話をくれると思います。
年金生活になった両親とは、数年前からプレゼントのやり取りはやめようね、と約束しました。
いつまで、誕生日に電話で話せるのかな……と思うと涙が出そうになります。

50歳を過ぎて、誕生日は両親への感謝の日になりました。

 

 


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