連続投稿3日目 すでに持っている「経験」を掘り起こす!

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青空とみずみずしい新緑と、風が心地いい4月最後の1日ですね。

 

今日は、仕事のことを書きます。
取材には、大きく分けると2つのパターンがあります。

一つは、向かい合って、がっつりインタビューをする場合。
このときは、ボイスレコーダーを使って録音します。

帰ると、録音したものを文字に起こします。
これをテープ起こし(昔はテープレコーダーに録音していたのでこの言葉がなかなか抜けない)とか、
文字起こしと言います。
これが、本当に面倒臭い!

1時間お話を聞いたとしたら、文字に起こすには、約2倍〜3倍の時間がかかります。
つまり2時間。
2時間お話を聞いたら、4〜5時間!

文字起こしだけをしてくれる業者さんもあるのですが、とても高価なので、私は大抵の場合自分で起こします。
(文字起こしだけやってくれる人がいたらいいなあと毎回思います)

でも、「あ〜あ、面倒だな〜」と思うのは、取り掛かるまで。
取り掛かってしまうと、インタビューのあの時が、もう一度戻ってきたようで、
「は〜、なるほど〜」とか「ふふふ!」とか、「う〜ん」とか
いろんなことを考えながら、聞き直し、とても充実した時間になります。

そして、インタビュー当日には、聞いているはずなのに聞けていなかったことがたくさんあることに
気付かされます。
「そっか、あの人はこういうことを言いたかったのか」
確かにその場にいてお顔を見ながら会話をしていたはずなのに、
わかっていないことってたくさんあるものなのですね〜。

 

そして、イヤホンから聞こえてくるインタビューの現場の空気を感じ、
いろんなことを語ってくれた「その人」の会話の後ろにつながっている年月に思いを馳せると

「あ〜、こんなお話を聞けるなんて、なんて幸せなことだろう」としみじみ思うのです。
それと同時に
「私だけがこれを独り占めするのは、もったいない!」
「この素晴らしいお話を、みんなに知ってほしい!」
と強く強く思います。

こんな人がいたよ。
あんな人がこんなお話をしてくれたよ。
それは、私たちの暮らしと、こんな風に関わってくるかもしれないよ。
そして、これからの生き方にこんなヒントを与えてくれるかもしれないよ。

そう伝えたくてたまらなくなるのです。
それが、私にとっての「書く」という仕事の源なんだなあと、
毎回テープ起こしをする度に思います。
あとは、拙い筆をいかに磨いて、少しでもより感度よく伝えられるか……。
精進いたします……。

 

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もう一つの取材が、
撮影をしながらお話を聞く、という場合。
これは、ご自宅に伺ったり、外であちこち取材に回ったりする取材です。
お話を聞くのは撮影の合間。
お話を聴きながら、撮影で中断され、またお話を聞いて……。
と時間がパッチワークのようになるので、
この時には、録音せずノートに書き留めます。
もちろん、全てを録音しておく方が、より正確だと思いますが、
ぶつ切りになった録音を聴き直し、つなぎ直すのは、またまた膨大な時間がかかるので。

 

取材の時に使うのは、このパイロットの1.2ミリというかなり太いボールペンです。
人には解読不能な、驚くほど汚い字で書きなぐります。
字が大きいので、すぐにノートがなるなるほど。
緻密に美しくメモできるライターさんを尊敬いたします。

ノートにメモする、という意識は、
ある時を境に随分変化しました。
私が駆け出しの頃、「美しい部屋」というインテリア誌の本文は、20W×20Wぐらいと
かなり少なめでした。
(今思えば、すごく難しい文字数です。原稿って、長い方が書きやすいもの。
短いと、取材した内容のどこをフューチャーするか、その視点次第でガラリと内容が変わってしまいますから)

だから、当時「よし、ここだ」と思うことを聞き出せたら、他は切り捨ててよかったのです。
メモも、大事なことだけ、というスタイルでした。
でも、ある時先輩に「どんなことも聞き逃さないことが大事」と教わって、
取材で聞いたことは、できるだけなんでもメモする。使うか使わないかわからなくても書いておく、
というスタイルに変えました。

私は、驚くほど記憶力が悪いので、
ノートを見返すと、「ああ、そうか、そういえばそんな話聞いたんだった!」と新たに思い出すことが
しょっちゅう。
マメにメモをするようになって、原稿も少し変わった気がします。

 

文字起こしをしたメモをプリントアウトして。
ノートを広げて、
そこから原稿書きが始まります。
書き始めは、何をどこからまとめたらいいのやら。
まさに暗中模索です。
自分の中にあることとと、聞いたことを一つずつ結びつけ、理解をする。
書き始めると、
「聞く」ということと「理解」をする、ということが、全く違うのだと思い知ります。

聞いたことは、理解して、咀嚼しないと、文字にしてアウトプットすることができません。
ここがすごく苦しくて、時間がかかるのですが、
ウンウン唸りながら原稿を書き
行き詰まると、連れ合いに「不機嫌なクマ」と呼ばれるように、
眉間にシワを寄せてリビングを歩き回り、
また書斎に戻って機関銃のようにキーボードを打つ……。
そんな繰り返しの中で、「ああ、そうか……」とだんだん霧が晴れてくる。
そんな作業が、しんどくて苦しくてたまらないけれど、きっと大好きなんだと思います。

 

これは仕事の場合ですが、
人ってみんな
暮らしの中でいろんな人と出会い、話を聞き、「へ〜」と思って、家へ帰って思い出す……、
を繰り返しているものだと思います。
もしかしたら、その中に、上記のような「聞き直す」「理解する」「アウトプットする」
というシステムを組み込んでみたら、
何かもっと違うものが見つかるかもしれません。

別に「書く」という方法でなくてもいいのかも。
すでに自分が持っている「経験」の中には、まだまだ拾い切れていない宝物がたくさんある。
そう知ったら、ちょっと心がリッチになる気がします。

 

 

 

 

 

 

 


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