日々のこと

連続投稿2日目「その後」を考える時期

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心の奥底で、自分でもまだ気づいていない何かを無意識に求めている……。
または、自分の中で何かが終わり、何かが始まろうとしている……。

選ぶ本が、なんとなくリンクしてきたら、そんな予感がします。
この2冊を選んだってことは、私は「何かを終えた、その後」を考えているということなのでしょうか?

 

どちらもベストセラーになっているし、ちょっと読んでおこうかな、
と軽い気持ちで手に取った2冊。

1冊は内館牧子さんの「終わった人」(講談社文庫)

東大卒業後、大手銀行へ。
エリートコースまっしぐらと思っていたのに、いつかその道を外れ、子会社に出向させられ、
重役になると信じていたのに、そのまま定年退職をする。
そんな主人公田代壮介の、定年後の心の葛藤と、ドタバタを描いた小説です。
「よくある定年小説よね」と思って読み始めたのですが、
ぐいぐい引き込まれて、電車の中で読んでいると、思わず涙がポトリと落ちそうになりました。

内館さんの「あとがき」が印象的でした。

内館さんがこの本を書こうと思ったのは、還暦を迎え、クラス会やOB会に顔を出すようになったのが
きっかけだったそうです。

 

「その時、それらの会でふと気づいたのである。若い頃に秀才であろうとなかろうと、
美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、
人間の着地点って大差ないのね……と」。

 

なんて救いのない「発見」なんでしょう……。
でも、ここに真実があるんだよなあと思うのです。

 

内館さんは、こう続けます。
「ならば、何のためにガリ勉し、あがき、上を目指したのか。
もしも、『最後は横一列』と分かっていながら、果たしてそう生きたか。
そんな中で、『終わった人』というタイトルがハッキリと浮かんだ」

 

そうなんですよね〜。
人が何者でもなくなった時。
何の生産もしなくなった時。
一体何をよすがに生きていけばいいのでしょう?
仕事を辞めた時、あるいは仕事がなくなった時、
子供が独立して、母親業を卒業した時。
今まで「頑張って」目指していた山の頂上が、途端になくなってしまう……。
そんなとき、何を目指して、どう歩けばいいのか……。

私も、手がけている雑誌がなくなって、誰からも必要とされなくなったら……
と思うと、怖くてたまらないし、どうすればいいのか途方にくれます。
でも、一方で、本当の人生というのは、そこから始まるのかも……
と、うっすら思うのです。
お金と交換できる価値を生み出したり、誰かのために役立つ自分の役割を持つ。
それが全くゼロになった時、
本当の意味での、すっぴんの「人間」になるのかもしれない。
その時、ゼロからどう生きるか……。
そんなことに今、ちょっとだけ興味があります。

 

そして、下重暁子さんのエッセイ「極上の孤独」(幻冬社新書)
下重さんの、小気味いい辛口の語りが、背筋を伸ばしてくれる1冊です。

でも、これはよくある「1人暮らしをするため」の本ではありません。
下重さんご自身も、ご主人がいらして、2人で暮らされているのです。

そうではなくて、人が一人で立つ、ということ、の意味を教えてくれます。

「孤独とは一人でいるということではなくて、生きる姿勢なのである」
という一節に深くうなずきました。

「定年になってからこそ、その人の本領が試される。誰かが縛ってくれている時ではなく、
誰にも縛られることがなくなってからこそが、力の見せ所なのだ」

「定年後は一人の男になろうとする人の顔は、なんと可能性に満ちていることか。
これからが本当の自分の人生なのだ。
自分の顔を取り戻すには、準備が必要だ。組織で仕事をしながらも、一人の時間を少しずつ多くしていく。
自分はほんとうは何をしたいのか、したかったのか」

 

下重さんがおっしゃっている通り「何者かでなくなった時」にどう生きるかは、
「何者かでなくなった時」から考え始めるのでは、遅いと思うのです。
全ての肩書きや役割を降ろす、少し前から、
「ゼロの自分」が、何もなくても歩いていける力を少しずつ蓄えなくては……。
それは、今まで一生懸命踊り続けてきた場所から降りて、
ステージを変えるということでもあるのかも。

今までの努力や、蓄積が、全く役に立たないステージへ。
私なら、ライターとして何を成し遂げたかなんて、全く関係ない場所へ。
それは、とても冷酷な転換かもしれないけれど、
辛くて、痛くて、悔しいからこそ、
その先に、何かとてつもない大切なことが待っているような気がする……。

 

そんな怖くて楽しい予感に、最近ちょっと足を突っ込んでいる気がしています。

 

 

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