手も足も出なくなる。それが座禅。南直哉さんに教えてもらいました。

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き〜んと空気が冷たい毎日です。
北陸をはじめ雪国のみなさま、大雪の影響で大変だと思います。
少しでも穏やかな日々になりますように。

 

さて!!
「暮らしのおへそ vol25」早々と重版決定です〜〜〜!!
嬉しいなあ〜!
手に取っていただいた一人一人の皆さまに本当に感謝いたします。

 

今回の取材で、私が特に興味深かったのが、恐山の禅僧、南直哉さんでした。

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青森県の霊場、恐山の院代を務める南さん。
取材をお願いしようと思ったのは、おへそチームの木村愛ちゃんの話がきっかけでした。
昨年お父様を亡くされた愛ちゃん。
「死」というものをどう受け止めたらいいかわからなかった時、
南さんの本を読んで「仏教は、生きるための道具です」という言葉が
ストンと胸に落ちたのだとか。

こんなふうに、自分が取材したいと思いつきもしなかった人を
スタッフが「会ってみたい」と言ってくれることが、とても嬉しいなあと思っています。
それぞれが、自分の人生を歩み、その中で感じたこと、求めていることに、
その時期、その時期で、ピタッとフィットする「会ってみたい人」がいる……。
それが、有名人でなくたって、暮らし系の人気者じゃなくたって、
自分の人生と絡んだ中で「会いたい」と思った誰かからは、
きっと思ってもみないお話が聞けるはずだと思うので。

私も、南さんのことは、為末大さんを取材した時に、
「禅とハードル」という、為末さんと南さんの対談をまとめた本を読んで
存じ上げていました。
面白そうな方だなあ〜と思ったことを覚えています。

そして、
「え〜、恐山、行っちゃう?」
「南さん、怖そうだよね〜」
「行っちゃおう、行っちゃおう」

とドキドキしながら連絡をしたら、なんと冬の間、恐山は閉山し
しかもちょうどその時南さんは、お仕事で東京にいらっしゃるとのことだったのです!

こうして、東京新宿の高層ビルの合間で撮ったのが上の写真です。

 

 

南さんは、幼いころから小児喘息で、発作が起こると「このまま死んでしまうのではないか?」と
不安に怯え、常に死が身近にあったそうです。

死とは何か、生きるとはどういうことか?
その問いとともに生きていたとき、
中学3年生の古文の授業で出会ったのが「諸行無常」という言葉。
この時のことを、ご著書「語る禅僧」(ちくま文庫)で

「目の前に細い光が一直線に走って、そこから新しい地平が見えてくるような気持ちだった」と
語っていらっしゃいます。

「私の中の死、生きることがすなわち死んでいくこと。それが『無情』であり、生き難さの意味だった」
とも。

この本の中で、南さんはもう一つ言葉を紹介していらっしゃいます。
南さんの宗祖の著作の一節。

「仏教をならふというは、自己をならふ也。自己をならふというは、自己をわするゝなり」

私なりに読んでみると、

仏教を学ぶことは、自分を学ぶということ。自分を学ぶということは自分を忘れるということ。

う〜ん……。

これには驚きました。
自分を忘れないと、自分については学べないのか……。

私は、南さんにお会いし、南さんが書かれたものを読むにつれ、どうしていいかわからなくなりました。

「私たちの生の根源的な構えは『受け身』なのだ」と南さんは言います。
「私はこの世の中を『積極的に』『前向きに』『頑張って』生きていく、いうことを
まともに信用しなくなった」
「しょうがないなあ、という感慨は単なる絶望ではない。状況は苦しいところだが、
それは仕方がないとして、とりあえずできることを何かやってみよう、という意味である。
(中略)
ところが、頑張れ頑張れの「人生前向き主義」の人々はそうは思っていない。
積極果敢でなくてなんの人生ぞ、という勢いである。
(中略)
座禅はこの正反対の所業である。文字通り、走るのではなく座るのだ。
『積極的人生』においては、頭は常に先の心配をし、目はいつも前方を注意し、手はともかく
何かを取ろうとし、足は一歩でも他人より前に出ようとする。
座禅のときはそれとまるで逆である。座り込んで手も足も組んでしまう。
本当に手も足も出ない。
(中略)
『頑張れ』という言葉は、時に人を傷つけ、追い込む。なぜか。なぜなら人はそもそも初めから
しょうがなく生きているからである。確かな積極さは、この『受け身』であることの深い
自覚からしか出てこない」

 

私は、どちらかというと「人生前向き主義」なので、「頑張らなくていい」「しょうがないから生きていく」
ということを理解するのが、なかなか難しかったのです。

でも……。
手も足も出なくなった時、私は何を考えるのか……。
それを知ってみたいなあと思いました。

人生の後半、こんな私だって、だんだん頑張れなくなっていくはずです。
きっと自然に手も足も出なくなっていく……。

もしかしたら、少しずつ人生の見方をシフトしなくてはいけない時期なのかなあと思いました。

 

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実際にお会いした南さんは、ちっとも怖くなんてなく
お話がすごく面白くて、インタビューの時間はあっという間に過ぎてしまいました。
「大丈夫?こんな話、こんなきれいな本に載せちゃって?」とおっしゃっておりました。

たくさんの「問い」の種をいただいた取材だったなあと思います。

 

みなさん、おへそと、そして「語る禅僧」という南さんのご著書もとても面白いので
ぜひ読んでみてください。

 

 

 


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