「緻密」ということ

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東京は今日は18度ぐらいになるのだとか……。
気温がジェットコースターのように変わりますね。

先日買ったヒヤシンス。
茎がぐんぐん伸びて、頭の重さでぐにゃりと曲がってしまったら、
切り戻して、首まで水につけておけば、
またピンと背筋を伸ばしますから。
とお店のお姉さんに教えてもらいました。

その横でブーケを作っていたオーナーが
「つぼみをぜ〜んぶ、咲かせてね」
とおっしゃいました。

そっか!
ヒヤシンスって、つぼみが全部咲くんだ……。
私は初めてその時、この花の構造に目がいったのでした……。

私は、こういうことがとても苦手。
ヒヤシンスを見つめて、つぼみを一つ一つ確かめる……
なんて細やかなことを滅多にしません。

自分が緻密でない、ということを
事あるごとに思い知り、ハッとします。

作る本や雑誌の校正では、
取材者の方からいただく赤字をきちんと反映させることが責務
なのですが、
ポロポロと取りこぼします。
ポカをやるたびに、ああ、もっと緻密にならなくちゃ、
と思います。

昨日取材に行った部屋で、
指先ぐらいの小さな瓶に小手鞠の花が
いけてあるのを見つけました。

伸びやかな枝に、たわわに花をつける小手鞠。
散って、枯れていく中で、残った花だけを切り取り
小瓶にさして、最後の最後まで楽しむ……。
そんな姿を見て、我が身を反省。

私は、ポロポロと小さな花びらが散り始めたら、
部屋中に散らばるので、
とっとと処分してしまっていたのでした……。
お恥ずかしい……。

小説を読んでいても、
主人公が何に出会い、何を発見し、どう成長していったか
ということに最大の興味があるので、
その背景に流れている、歴史はすっ飛ばして読んだりします。
本当は、主人公の生き様と、歴史の流れが
二重奏を奏でてこそ、読み応えがあるというのに……。

ああ、もう少し緻密になりたい。
そうすれば、人生が厚みを増し、
知的にいろんなことを楽しめるのに……。
と思います。

でも、本来が大雑把人間なので、すぐ元に戻ってしまう……。
失敗したり、
とても繊細なものの見方を知ったりするたびに
自分にげんなりします。

今の私にできる唯一のことは、
ハッとするたびに
「緻密」という在り方を思い出し、
自分の襟を正すということだけ。

ヒヤシンスのつぼみが開く、ということを知ってから、
水を変えるたびに、その姿が変化して行くことが
楽しみになりました。

緻密の教えてくれることって、すごいなあと思うこの頃です。


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