青春プレイバックパート3 いきなり編集という現場へ

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実家生活4日目。
今年は神戸で打ち合わせがあるので、長めの帰省です。
朝起きると、父はパソコンでヤフーニュースをチェック。
今年87歳になる父は、70歳をすぎてパソコンを買い、
あっという間にマスターしてしまいました。
私が出ている記事も、くまなくチェックしプリントアウトしてファイルしてくれています。
若い頃は、仲が悪くて、威張リンボのことや、いいカッコし〜なところに反抗したけれど、
ふと気づくと、そんな父の嫌だったところに、自分が似ていることに気づいてハッとします。

さて。
青春プレイバックパート3です。
結婚して上京し、1週間後に取材でオーストラリアへ。
新婚旅行の代わりにでも……という元夫の甘い言葉に連れて出かけましたが、
着いてみると大違い。
フリーのカメラマンやライターさんと一緒に行くのですが、
一応元夫が社長なので、こちらが全ての指示を出さなくてはいけません。
彼は営業担当なので、雑誌作りの段取りは気がつけば私がやることになっていました。
雑誌作りなんで、まるでやったこともなかったのに……。
英語でお店にアポを取ったり、モデルさんと一緒に服を選びに行ったり。

当然全てに至らないことばかり、スタッフからは文句が出るし、
元夫は「ほっとけ!」と怒るばかり。
板挟みになって、毎晩泣いておりました。

帰国後も初めての仕事ばかり。
いきなり夜中の12時まで働く日々が始まりました。
それでも、オーストラリアで撮ってきた写真は、グレートバリアリーフや
シドニーの街並みなど、それはそれは美しくて、
何百枚というポジを1枚1枚切ってマウントする作業は、大変だけど楽しいものでした。
こうやって、私はいきなり現場で編集という仕事を学んだのでした。

若い時期、自分の能力以上のことをアップアップ言いながらやる、という経験は
必要だなあと今では思います。

でも、そんな怒涛の生活は、やっぱり私には無理で
私は、ワープロ(!!)と身の回りの衣類だけを持って家を飛び出し、
結婚生活は終わりを告げました。

でも、私はあの結婚によって、親が敷いたレールを外れ、
自分の道を歩き出せたと思っています。
結婚したことで、ずっと憧れていた出版の世界の入り口に立つことができ、
今の私になることができた……。
世の中には無駄なことは何にもない、というのは本当に事実だなあと思います。

そして、家を飛び出したことで、
いかに自分が親に愛されて育ったかを初めて理解しました。
いつの間にか、私は母がやっていたように家を掃除し、
父のように威張リンボで、い〜カッコし〜になっていた(笑)

優等生の私が起こしたたった一度の反乱は、私に必要なことだったんだろうなと思います。

この続きはまたいつかどこかで書いてみたいと思います。

みなさま、今日もいい1日を

 

 


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