いちだ&さかねの往復書簡 NO7

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坂根

すっかり、返信が遅くなってしまいました。
この1ヶ月半の間に、暮らしのおへそ最新号(Vol.24)や、新刊本「かあさんの暮らしマネイジメント」を読ませていただいておりました。

その中の「暮らしのおへそ」で一番印象に残った言葉があります。
陶芸家・黒田泰蔵さんのページの中の一言でした。

 

個性をひとつずつ消すことで、
本当の個性がでてくるんじゃないかと
考えたんです。

 

この言葉を、心の底から理解するまで私がもし取材をしていたら、
機関銃のように聞いていたとしても、その場で果たして分かる時がくるのだろうか……
と気が遠くなりました。

黒田さんの長年の歳月をかけてつかんできただろう言葉の重みに、
自分の頭ではまだ消化できていなくて……。

読者の立場だったら、このような気持ちのままでいいと思うんです。
数年後、あるいは何十年後かに、「あっあの時の言葉はこういうことだったんだ!」
と人生の経験の中で言葉がリンクできれば、こんなに気持ちがいいことはありません。

 

でも、文章を書く側としては、やっぱり、言葉そのものを理解していないと、
取材先の方の言葉を言葉として扱えないんじゃないか……。
モヤモヤしたままの気持ちで、言葉を断言しても読者に響かないのではないか。と疑問を持ちました。

 

次の質問は
一田さんが、取材先の方の言葉の本当の意味を自分に落としこめないまま、
文章として表現する(もしくはしてきた)ことはあるのでしょうか。

 

一田

 

坂根さん、お返事ありがとうございます。本も読んでいただいて嬉しいです。

今回の質問、確かにそうですよね〜。
私も、もし10年前だったら、あの黒田泰蔵さんの言葉を捕まえられなかったかもしれません。

個性をひとつずつ消すことで、本当の個性が出てくる……。

この言葉を聞いたとき、私の中では、以前「暮らしのおへそ vol19」で取材をさせていただいた、
片桐はいりさんの言葉とカチッとリンクしました。

自分らしさって
トイレで流しても、流しても、
どうしても流れないで残る
”こびりカス”のようなものだと思うんです。

 

「私らしさってコレよ!」
と声高にいうよりも、無駄な力を抜いて、頑張ることもやめて、
それでもここに残っていることが、その人らしさ……。
黒田さんがおっしゃる「本当の個性」もきっとそういうことなのだろうなあと思ったのです。

こんな風に、人は自分の中にある経験と組み合わせながら、
新しいことを理解しようとするのだと思います。

だからこそ、坂根さんが心配するように、経験が少ないうちは理解が足りなくて
それをライターとして書いてもいいのか……
と思うんですよね。
その気持ち、私も若い頃からずっと持っていたので、すごくよくわかります。

 

でも……。
私だって、もっと年配の年月を重ねてきた人に比べたら、全然経験が足らないのです。

経験を積んでから、何かがわかるようになってから…
と思っていたら、いつまでたってもものを書けるようになりません。

だから、わからなくていいと思うんです。
「わからないことを書くのではなく、わかることを書く」

それでいいのだと思います。
というか、それしかできないのだと思います。
人は、自分が聞けることしか聞かないし、理解できることしかわからない。
そして、聞けないこと、わからないこと、があることは、
決して悪いことじゃない、と思います。

歳を重ね、経験が増えてこそ書けることもあるけれど、
若いときに、まだなんにもわからず、でもすべてが初めての中で、みずみずしい心で
つかまえてこそ書けることもある、

と思うのです。

 

坂根さんには、坂根さんしかわからないことがあると思います。
小さな子供を育て、パンを焼き、アロママッサージもできて、
海の近くに住んで、人に会うこと、文章を書くことがとにかく好き!
そんな坂根さんにしか見えないこと、感じられないことがあるはずです。
坂根さんが書けるのは、そんな自分が感じたことです。

そして、それは、私には感じることができないし、坂根さんに書ける文章は
私にはきっと書くことができません。

すごく有名な方や年上の方のお話を伺うとき、
自分の知識や経験が足りなくて、力不足を思い知ることは多々あります。
あ〜あ、とため息をつきながら、また勉強し、自分を伸ばしていく努力は必要だと思います。

でも逆に
ものすご〜く有名な方が「当たり前」だと思っていることを
「どうしてそう思うんですか』とまったくフレッシュな目で見て、
ものすご〜く根本的な質問を投げかけられるのは、駆け出しの、まだ真っ白なキャンバスしか持っていない、無垢な心の持ち主だと思うんです。

若いときには若いときにしか書けない文章がきっとある、と私は思います。

 

読者の方だって、すべてのものを知っているとは限りません。
そんな読者代表になって、「どうしてですか?」と聞ける力は、大きいし、
それを初心者の目で文章にするからこそ、読者に伝わりやすい文章が書けるのだと思います。

 

坂根さんは、どこかに「正解」があって、その「正解」を知りたい、
と思っているのではないでしょうか?
でも、インタビューには「正解」ってないと私は思います。

もちろん、取材先の方が言っていらっしゃることをなるべく忠実に理解する必要はあります。
でも、自分以上の文章は絶対に書くことができません。
そこは、腹をくくって、覚悟を決めて、「自分がわかること」を見つけていくしかないのだと思います。
そして、それがそのときにしか書けない「正解」なのだと思います。

 

 

 

 


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