きときとノート

ノート2 ほんのちょっとの勇気で、今ここにいる

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きときとノート」は、一田さんのお手伝いをさせていただいている私が、日々の中で見つけた新鮮な驚きや喜びを、みなさんにお裾分けするような気持ちで綴らせていただいています。

 

前回は、ブログを読んでお手伝いスイッチが入り、実際に一田さんにお会いするまでのお話でした。

お仕事を受け取ったその日の夜。さあやるぞ!とパソコンに向かった私は、ほんの数秒で完全にフリーズしてしまいます。耳と、頭と、手の動きが、全然一致しないのです…!

耳で聴き取った音声は、頭の中で言葉として変換されないと、文字として打つことができません。

「耳で聴く」と「内容を理解して言語化する」と「文字として打つ」は、それぞれまったく別の回路であり、しかしそれを瞬時に、ほぼ同時に駆使する必要がありました。

学生時代からノート代わりにパソコンを使っていた人なら何でもないようなことかもしれませんが、アナログ人間だった私には衝撃の事実でした。

聴いた内容を理解して、頭の中の黒板にようやく言葉が並んだとしても、今度は打つ手が追いつきません。打つのに必死になっていると、音声ばかりがどんどん先に進んでしまいます。

音声を再生して、聴いたら停止して、文字を打って、巻き戻して、また再生して、確認して、直して、また戻して、再生して…の繰り返しで、これが想像を絶するほど地道な作業だったのです。もう愕然としました。

やってもやっても全然進まず、ぜいぜい肩で息をするように頑張っても、再生時間を見たら、まだ数十秒しか進んでいないという事実。これを2時間のインタビュー全部…。とんでもない世界に足を踏み入れてしまった…!と血の気が引いていくようでした。

 

しかし、何も知らなかったからこそ飛び込めたという唯一の強みで、がむしゃらに取り組みました。

「これまで経験したことのない作業なんだから、とにかく数をこなして慣れるしかない」ということは直感的に理解していたので、「聴いて、理解して、言語化して、打つ」が淀みなく流れていくように、耳から頭、そこから腕を通って手の指の先まで、新しい神経回路を構築するような思いで体に叩き込んでいきました。

私が苦戦している姿を見て夫がいろいろ調べてくれたのですが、その中で『Casual Transcriver』という文字起こし用のフリーソフトの存在を知り、すぐに導入しました。

最初は、一田さんからお借りしたボイスレコーダーで音声を再生しながら、ノートパソコンで文字を打っていました。しかしこのやり方では、ボイスレコーダーの操作をするたびにパソコンから視線も手も離れてしまいます。

あっちで止めて、こっちで打って、またあっちで再生して…というモヤモヤを見事に解消してくれたのが、このソフトでした。パソコン内で音声の操作ができるので、再生も停止も巻き戻しも、もちろん文字を打つのも、同じキーボード上でできるのです。

 

このソフトで一番かゆいところに手が届いたのは、一連の操作を自分の好きなショートカットキーに設定できることです(他のソフトは使ったことがないので、もし他でも同じようにできるものがあったらすみません…)。

私は決してタイピングが得意ではなく、新しく出会った慣れない操作に自分を合わせていく余裕もなかったので、自分の手の癖で押しやすい位置にショートカットキーを設定してしまいました。そうすることで、キーボード上で指が迷子になることがものすごく減りました。

延々と果てしない時間をパソコンと向き合うので、ほんの数秒の時間短縮のひとつひとつがとても重要になってきます。このソフトとの出会いで私の文字起こし人生が始まったと言ってもいいぐらい、今では欠かせない相棒となっています。

これがなかったら一体どうなっていただろうと思うと、正直ゾッとします…(苦笑)。

 

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やってみて初めてわかったことですが、文字起こしとは、流れてくる音声をただ文字にして打てばいいという単純な作業ではありませんでした。

音声を言葉に写し取るという大前提はあるものの、話し言葉のままに打っていては、テキストとして読みづらいものになってしまいます。

たとえば、

「え〜っと、いつだったかなあ、日付は忘れちゃったんだけど、その頃だと思うんですよね、たぶん」

という話し言葉は、

「いつだったか日付は忘れちゃったけど、たぶんその頃だと思います」

というように文字起こししています。話し言葉をそのまま文字にする「素起こし」というやり方もあるようですが、本来の意味を損なわず、かつ原稿を書く資料として読みやすいもの、という意識で私はやらせていただいています。

文字起こしは、あくまで他人が話している内容を文字にするので、「私の」文章ではありません。しかし、事実の拾い方、言葉の選び方など、自分の力量がものすごく試される場であると痛感しています。

話す口調や言葉の行間から読み取れるニュアンスをできるだけそのままに、どうやって読みやすいテキストに仕上げていくのか。私の中では「テキストに一本の筋を通す」というような感覚です。

それは、これまで自分の中で培ってきた文章力を総動員させて臨むような作業で、私はここにやりがいを感じました。

自分が打った文字起こしのテキストが一田さんの原稿の元になるので、気を抜けるはずもありません。

誤字脱字がないことはもちろん、ひとつの読み物として読みやすく仕上げること。自分が精一杯取り組んだ結晶として、どこに出しても恥ずかしくないものであること(実際には一田さん以外見る人はいませんが、心がけとして)。そして、インタビューを聴かせていただいている立場としての守秘義務を、関わるすべての人に誓うこと。これらを自分の中で忘れないように、テキストの最後に署名するとき、いつも確認します。

 

今でも文字起こしは大変な作業だと感じていますが、楽しみの方が大きいです。

文字起こしでテキストを打っていくことも、自分でゼロから文章を打っていくことも、同じくらい文章力が必要とされると肌で知ったことは、私にとって本当に大きな発見でした。

書くことが好きだったけど、ライターとしてやっていく覚悟もなくて、宙ぶらりん。そんな自分をどこか持て余していましたが、一田さんから与えていただいた文字起こしというお仕事で、私は居場所を見つけることができました。何らかの形で書くことに携わっていけるかもしれないと、希望を感じたのです。

きっかけは、たった一通のメールでした。

何か誇れることがあるとしたら、「行動した」ということ、ただそれだけだと思います。

ほんのちょっと勇気を出してメールを送ったあの瞬間が、今ここにつながっています。

 

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お手伝いが一周年を迎えた今年の5月。

一田さんから、「あやちゃん、何か書いてみない?」と体中の細胞が踊り出すくらい光栄なお声がけをいただきました。

私は何が書きたいだろう?何を伝えたいだろう?と考えた時、「あやちゃんが見つけたもの、感じたこと、考えたことを書いたらいいんだよ」という一田さんのあたたかいアドバイスを受け、ひとつのビジョンが見えました。

「日々の暮らしの中で見つけた新鮮な驚きや喜びを伝えることで、誰かの背中をそっと押してあげられるような文章を書きたい」

小さな喜び、小さな発見、ほんのちょっとの勇気。そんな小さな宝物によって支えられている日常を、書くことの力を借りながら、精一杯生きていきたいと願っています。

長い長い自己紹介となりましたが、お読みいただきありがとうございました。

 

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最後に。今の私たちをそのまま切り取ってくれたようなこの写真は、加藤美帆さんに撮っていただきました。加藤さんとの出会いも、いずれこのノートで書けたらいいなと思っています。

 

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